「セルディさんは?」
「当主のアルバート殿とご歓談中だ」
二日後、フィラデルフィア家に到着して通された客間で、こずえとエリオットは話をしていた。とはいっても、こずえが異世界出身だということを大声で触れ回るわけにも行かないので、自然話題は絞られてくる。
「フェルティアーナさんて、どんなひとなの?」
「……見ればわかる」
こずえの問いに、エリオットは短く答え、そしてやはり短く「きたぞ」と言った。
一見して、きらきらしたものが近づいてきている、と思った。
そのきらきらしたものはどんどんこずえに近づいてきて、こずえの脳がそれを少女であると認識したとき、こずえはその少女に思い切り抱きつかれていた。
「あなたがコーディリア様ですの? とぉっても可愛らしい方!」
危うく少女ごと後ろに倒れこみかけたこずえは、やっとのことで体勢を戻すと、闇色の眼をこれ以上ないほど丸くした。
(……きれいなひと……!)
絶世の美少女という言葉でさえ実物を前に霞んでしまうかのような、およそ人間が美しいと言うもの全てをひとの形に凝縮させたらこうなるというような少女だった。
まず目を惹きつけるのはその髪で、絵本の中のお姫さまのようなふわふわの金髪が、くるくると遊びながら膝の少し下まで流れ落ちている。淡い翡翠色の瞳は透き通っていて、ともすれば近寄りづらいほどの美貌に、人間らしい温かみを加えていた。肌は理が細かく滑らかで、さながら淡い薔薇色の大理石のようである。
体型はまだ少女らしさを残していたが、その身に纏う白いふわふわのドレスから覗く華奢な首や肩のラインも綺麗な曲線を描いており、胸元で交差する黒いリボンが全体の雰囲気を引き締めていた。
エリオットにセルディと、いい加減美麗な人間には耐性がついたかと思っていたこずえだったが、目の保養を通り越していっそ目の毒な美少女を目にして、思わず言葉を失った。
楽しげな翡翠の瞳と向き合うこと数十秒。ようやっと脳の処理が追いついたこずえは、しどろもどろになりながら名乗った。
「はい、わたしがコーディリアです。コーディリア・ルイン・クシュカート」
「ふふ、こんなかわいらしい方とお近づきになれて嬉しいですわ。わたくしは、フェルティアーナ・ラティーヌ・フィラデルフィアと申します。フェルティと呼んで下さいな」
小首を傾げてこちらを覗きこんできたフェルティに、危うく見惚れそうになり、こずえはぶんぶんと首を振った。危ない危ない。
(……なんか変な方向に引きずられそうだ……!)
「はい、ええと、……フェルティ様」
「様、だなんて他人行儀ですわ。そのかわり、わたくしもコーディリアとお呼びしても?」
こくこくと必死で首肯しながら、こずえの精神は崩壊寸前だった。
(もう、なんていうか、)
悪意を向けられているわけではない。むしろ、こんな絶世の美少女と和気藹々と話ができる機会なんて、この先ずっとないかもしれないが。
(げ、限界……)
目の前の人物が綺麗過ぎて心拍数が天井なしに上がっていく。ごくごく平凡な一市民として穏やかな生活を送ってきたこずえにとって、フェルティの存在は、たとえ本人にその気が皆無でも、少々刺激が強すぎた。
いかにも貴族の令嬢といった雰囲気の美少女に近寄られすぎて目を回しかけたこずえに、横から救いの手が差し伸べられた。
「フェルティアーナ、そのくらいにしておけ。コズエが困っている」
このときばかりは本気でエリオットを拝みたくなったこずえに対し、フェルティの反応は少々異なった。むくれたように頬をぷぅっと膨らませたのである。因みに、そんな顔でさえ抜群にかわいい。
「嫌だわエリオット。まるで人がコーディリアに強引に迫っているみたいじゃないの。ところで、コズエはコーディリアの愛称なのかしら? なら、わたしは――そうね、コーディと呼んでもいいかしら?」
「なぜ」
「だってエリオットと同じ呼び方じゃ、芸がありませんわ」
こずえに対するのとは打って変わって打ち解けた口調に、こずえが戸惑いを隠せないでいると、エリオットが深い溜息を吐いた。
「コズエに会えて嬉しいのは理解できるが、ほどほどにしておけ。コズエは長旅で疲れているんだから、お前と違って元気があり余っていないんだよ」
言っていることに全く遠慮というものが見受けられないが、エリオットの口調は寛いでいるときのそれで、こずえは密かに目を瞠った。
本人たちにその気がないにしろ、銀髪の端整な少年と、金髪の美貌の少女だなんて、ぴったりすぎてもう感心するしかない。案外エリオットが無愛想なのも、照れ隠しだったりするのではないか。
フェルティも、不躾ともとれるような発言に、全く傷ついた様子がない。こずえの腕に自分の腕を絡める。
「もう。エリオットと上手くやれる女性がいらっしゃると訊いたから、どんな方かとお会いしてみたら、余りに慎み深い方だったから、ちょっと羽目を外してしまっただけよ。――ねえ、エリオット。貴方と一緒にいることを全くひけらかさない女の子なんて初めてよ。コーディとはいいお友達になれそうだわ」
そこまで立て板に水の如く次から次へと繰り出されるフェルティの言葉にただただ圧倒されていたこずえだったが、ふと気になり、恐る恐る口を挟んだ。
「あ、あの、ひとつ、聞いてもいいかな」
「なにかしら?」
「気分を悪くしたらごめんなさい。フェルティって何歳なの?」
「十四ですわ」
十四! こずえはおもわずその場に倒れ臥したくなった。十四歳でこの美貌なら、成長しきったらどんな凄まじい美貌になるのか、想像するのがすこしどころではなく怖い。もはや人の域ではなく女神とか天使とか、そういう超越した次元になってしまうに相違ない。
「うう、」
がっくりと肩を落としたこずえを、フェルティが心配そうに覗きこんできた。
「コーディ? コーディは何歳なの?」
「わたしは十六だよ」
さすがにエリオットと違い、驚きをあからさまに表すようなことはなかったが、フェルティの顔を一瞬過ぎった茫然とした表情に、こずえは少々むくれた。
(……確かに私は157センチしかないけど、童顔だけど)
こずえに言わせれば自分が幼いのではなく、この国の人々が揃いも揃って年齢の割りに成熟した外見をしているのだ。エリオットしかり、フェルティしかり。むしろセルディの方が実年齢と外見年齢との差が小さいくらいだ。フェルティに至っては、十四歳とは思えないほど胸が――、いや、もう何も言うまい。
ひとつだけ言うとするなら、その部分に関していうならこずえは哀しいほどに発達していないので、フェルティについてどうこう言えることではないのである。
(……うー)
どうして平凡な自分が、うつくしい人間ばかりに出くわす羽目になっているのかと、こずえは自分の巡り会わせを呪いたい気分でいっぱいだった。
それでどうしてこういう状況になっているのか、まずもってこずえが聞きたい。むしろ責任者をひっ捕まえて力いっぱい問い質したい。
「このドレスは? ああでも、このドレスもコーディに良く似合っているし」
貴族御用達という店が立ち並ぶ、フィラデルフィアに近い通りで、こずえは着せ替え人形と化していた。疲労の余りあてられるドレスがどれも同じように思えてしまうのは、きっとこずえのせいではない。
こずえのドレスを買いに来たのは、こずえが悪目立ちしないようにという目的があるはずなのだが、どうにも脱線しかかっている気がする。手段が目的に成り代わってしまったかのような。
「フェルティ、そんなに拘らなくても」
「嫌よ。コーディにぴったりのドレスを見つけるまで、わたしは諦めませんわ!」
「いや、だから、」
こずえは疲労している中でも素直に感心してしまった。この力を籠めれば簡単に折れてしまいそうな細い体のどこに、ここまでの活力が秘められているのだろう。
こうなることを確実に予想していたのであろう男性陣は、いつのまにかどこかに消え去っている。「直ぐに戻るから」と言いつつ一行に戻ってこないエリオットに、こずえは八つ当たり気味に怒りを向けた。
(エリオットの裏切り者!)
そうこうしているあいだにも、こずえの横に積み上げられている衣類の山は、どんどんうず高くなっていく。
「あ」
ふと、興味を引かれたこずえは、ひとつのドレスを摘み上げた。
それは、白のドレスにふんわりとした黒い布を羽織るシンプルなものだった。羽織りものは、強いていうならカーディガンに近い。ドレスは胸のすぐ下で切り替えられていて、丈もそこまで長くない。羽織る布と同じ素材で出来たリボンが、ベルトの役割を果たすらしい。
「私、この服がいいな」
試着をすると、フェルティも気に入ったらしく、こずえはやっとこれで着せ替え地獄から抜け出せると、ほっと安堵の吐息をついた。
「コーディの目にも良く合ってる。素敵だわ、コーディ」
嬉しそうに声を上げたフェルティににっこりと笑う。
「あと、これもいいかな? 寝間着が欲しかったんだよね」
こずえは先ほど自分で選んだドレスと、フェルティの選んだ二着のワンピースに、下着など必要なものを加えて手早く会計を済ませた。因みに資金はエリオット持ちである。こずえが辞退するのを無理やりにおしきって小遣いを渡してくれたのだ。
「さてと、この後、寄りたいところがあるの」
「え?」
そんな話は聞いていない。呆気にとられるこずえに、フェルティは真顔になって言った。
「――事件に巻き込まれて溺死した母親の、夫のところよ」
「セルディナート様とエリオットには、川を見てもらいにいっているわ。何か手がかりがあるかもしれないし、たぶん男性のほうが危険は少ないから。ちょっと出発が早かったみたいだけど、今頃は川の辺りを調べ始めている頃だわ」
滔滔と繰り出される説明に、こずえはフェルティへの認識を改めた。この少女、確かに見た目は隙なく貴族然とした美少女だが、それだけではない。おそらくは相当賢く、また行動力も兼ね備えている。
領地であった事件の解決に自ら動いていることが、その証拠だ。深窓の令嬢ならば、蝶よ花よと持て囃され、自分を飾ることにしか興味がなくたってなんの不思議もないのに。
フェルティと共に馬車に乗り辿り着いたのは、煉瓦造りの屋根に漆喰の壁でできた家が立ち並ぶ通りだった。見ると、ここで遊んでいる子供は、エリオットやフェルティと比べてだいぶ簡素な衣類を纏っている。
こずえの視線の意を悟ったように、フェルティは軽く頷く。
「ここはね、それなりに裕福な、中流どころの民のおうちなの。なぜだかわからないのだけれど、被害に遭っているのはある程度お金があって家庭も円満、穏やかに日々を過ごしている人ばかりなのよ。本当はもっと早くに来たかったのだけれど」
フェルティは立ち並ぶ家々のうちの一つに近づくと、扉を叩く。やがて若い男が顔を出すと、フェルティはにっこりと微笑む。男が一瞬その笑顔に見惚れたのを、こずえは確かに目撃した。
「こんにちは、ちょっとお聞きしたいことがあって寄ったのだけれど、少しお時間をいただけるかしら?」
男が、声の主の正体を認識するのに、数秒がかかった。
目の前にいるのが誰であるかを把握した彼は、殆ど叫ぶようにしてフェルティを諌めた。
「フェルティアーナ様! いけません、こんなところにいらしては!」
「けれど、領民が被害に遭っているのに、見過ごすわけには参りませんわ」
「そう、ですが……」
男が項垂れたのを見て取り、フェルティは、あながち演技でもなさそうな真摯な口調で言い募る。
「わたくしは、これ以上の被害を防ぎたいのです」
「もちろん、私とて妻を魔物に奪われた身。魔物を許すわけには参りません。けれど、それでフェルティアーナ様の身に危険が及ぶようなことがあっては……!」
「ですから、無茶はいたしませんわ」
「……ならば、約束を、していただけますか。私にそのような権限がないことは重々承知しておりますが、どうか御身に危険の及ぶようなことはなさらないと」
勿論、といって、フェルティはにこりと笑う。
「それなら、――協力していただけるかしら?」
無論、フェルティの完全勝利だった。
「フェルティ、慕われてるんだね」
「ふふ、ありがとうコーディ」
客間に通された後、こずえは素直に感心して見せた。
「でも、フェルティ。こんなところに護衛もつけずにきちゃってよかったの?」
素朴な疑問にも、あら、と笑って見せる。
「ちゃんといるわよ、気配を隠しているだけ。わたくしがどんなにこっそり家を抜け出そうとしたって、護衛の必要がないとき以外はいつだって彼らは私についているの」
こずえはきょろきょろと辺りを見回すが、影が見えないどころではなく、気配すらしない。
「す、凄いんだね」
「もっとも、貧しい人々の中には、当主であるアルバート兄様に私怨を向けるものもいるから、仕方がないといえば仕方がないのだけれど。兄様は賢いお方だし、うまく統治していらっしゃるほうではあるけれど、やはり当主になってから日が浅いから、未熟さも目立つし」
私情を交えずに当主としての兄への評価を語ると、あとあの癖だけはいただけないわ、アリス様を迎えてから収まると良いのだけれど、と呟く。
「あの癖?」
「ああ、兄様は、女癖が悪いのです。かつて、平民の娘や侍女などから、貴族の娘に至るまで、あちこちで火遊びをしていたと、領地中の語り草ですわ」
裏表がないというべきか、あっさりと兄の欠点を言い放つフェルティを、こずえは新鮮な気持ちで見詰める。
と、そこで、扉が開いた。
「お待たせしてすみません、フェルティアーナ様」
さきほどの若い男が深々と頭を下げる。フェルティは、気遣わしげな表情を浮かべた。
「いいえ、こちらこそお忙しいところにお邪魔してしまってごめんなさい。……奥様のことは、残念でしたわね」
「……はい」
男はしばらく言い澱んでいたが、やがて意を決したように話し始めた。
「私と妻が、直ぐそこを流れる川のほとりで散歩をしていたときでした。急に妻の帽子が風に攫われ、妻にその場で待っているようにと言い残して、私はその場を離れました」
「時間は」
「およそ五分ほどです。戻ってみると、妻が川の中で溺れかけていました。何が起こったのかと駆けつけた私に、妻は叫びました。『こっちにこないで。この川には魔物がいるの。』そのあと直ぐ、妻は水に飲まれてしまった。駆けつけようとしたのですが、金縛りにあったかのように、足が動かず。見れば、足が地面に凍り付いていたのです。通りがかった者に氷を溶かしてもらってから水辺に駆け寄ってみれば、妻の服だけが浮いていたのです」
「それは……」
余りのことに言葉を詰まらせたフェルティに、男は言い募った。
「フェルティアーナ様。女たちを襲っているのは人なんかじゃない、魔物です。でなきゃこんなむごいこと、できるはずが……!」
「ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまって」
こずえは何も言えないまま、直ぐ目の前の光景を見ていた。会話に割り込めるはずもない。
――た、て
こずえの耳にかすかな声が届いたのは、そんなときだった。
「え?」
思わずフェルティたちのほうを見るが、彼らは何も聞こえていないかのように会話を続けている。
――助けて
今度ははっきりと聞こえた。ぱっとこずえが顔を上げると、――目の前に、半透明の少年がいた。
まだ幼いが、そんなことは殆ど気にならなかった。少年の体を通して床に引いてある敷物がうっすらと見えることに気づき、こずえの背筋を冷たいものが伝っていく。
(ふぇ、フェルティ、こどもがいる)
ちょいちょいとフェルティを突いて囁いた声がか細く震えていたが、フェルティはこずえの指し示すほうを見やって不思議そうな顔になった。何故こずえが怯えているのか理解できないといった風情だ。
(え? どこ?)
(そこ!)
(どこよ?)
かみ合わない会話に確信する。この少年は、フェルティには見えていない。
(なんなの、いったい!)
いい加減不思議な出来事には慣れてきたかと思ったが、さすがにこれはこずえの処理能力を遥かに超えている。ぎゃあと叫んで逃げ出したくなったが、ふと、少年の口元に目を留めて、動きを止めた。
少年の口元には、寂しげな、それでいて切実な笑みが浮かんでいた。
ふわふわとして頼りない輪郭。風が吹けば崩れ去ってしまいそうな姿の彼は、こずえの目を見て訴えかける。
――母を、助けてください
悲壮な表情で、少年はこずえを見る。
「え? 助ける?」
――あのひとには、僕が誰だか、もうわからないから
「あのひと?」
さっぱり要領を得ない。思わず聞き返したこずえは、残りふたりが会話を打ち切って、怪訝そうな顔で自分を見ていることに気づかない。
――母は、自分が得られなかった幸福を得た人たちを妬んでいます
まさか――事件の犯人のことか?
「それって、」
こずえの疑問を受けて、少年はこくりと頷いた。
――次に襲われるのは、フィラデルフィア家のアリス様です
「なんであなたが、それを知っているの?」
当然といえば当然の疑問を口にしたこずえに、少年は驚くべきことを言った。
――僕は、あのひとの息子だから。あのひとを成仏させてあげたくて、ずっとこの地に留まっているから
一瞬文字通り言葉を失ったこずえだが、嘘かと勘ぐるにはあまりに少年の瞳は澄んでいた。
――フィラデルフィア家で、誰か適当な人物に疑いをかけてみてください。そして、何らかの理由をつけて、アリス様の警護を手薄にするのです。そうすればあのひとは、嬉々としてアリス様を連れだそうとするでしょう
「わかった。でも、お母さんなら、なんでわざわざ罠に嵌めるようなこと――」
――このままでは、母はますます罪を重ねてしまうから。そうなる前に
こずえの問いに、また哀しげに笑って、少年はその場から姿を消した。
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