第2章 聖女と魔女



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「目新しい収穫はなし」
 男の家を出ると、セルディとエリオットが、苦い顔をして待っていた。端的すぎるエリオットの報告に、セルディが言い添えた。
「ありがたいことに、新しい犠牲者は出ていないようだけど、犯人の手がかりも、まるでなかった。フィラデルフィア家は優秀な家臣をお持ちだ」
 それで、そちらは? 水を向けられて、こずえは黙り込む。こずえを気遣うようにしながらも、フェルティが代わりに口を開いた。
「奥様を亡くされた男性からは、目ぼしい情報は得られませんでした。精々、犯人は高い魔力をもつものだということくらい。ただ、コーディが」
 そこで言葉を切って黙り込む。信じたいが信じがたいという内心が、ありありと顔に出ている。
「コズエが?」
 エリオットに訊ねられ、こずえは思い切って口火を切った。
「――わたし、幽霊を見た。フィラデルフィア家で、誰か適当なひとに疑いをかければ、犯人がわかるだろうって。――犯人の息子だって言ってた」
 ざっと説明をすると、残りの面々は一様に難しい表情になった。
「フェルティアーナ様は、その幽霊をごらんになっていない?」
「ええ」
「となると、真実かどうかにはかなり疑問が残るな。だが一方で、アリス様の御身が心配なのも確かだ。目新しい手がかりも見つかっていないしな……」
「それに、幽霊の言っていたことが真実かどうかはともかくとして、犯人を油断させて誘き寄せるという手段は有効です。それをうまく利用できれば……」
 こずえが事の成り行きを見守る中、銀色の兄弟はああだこうだと話し合いを進めていく。ややあって、セルディが大きく嘆息した。
「コーディリア」
「はい」
 名を呼ばれて姿勢を正すと、セルディは気難しげな顔のままで言った。
「あなたの言ったことを、すべて信じるわけにはいかない。証拠がないからね。ただ、『犯人がわかった』という噂を、屋敷の中のみならずこの一帯に流せば、犯人を炙りだすことは可能です」
「ええ」
 覚悟はしていた。だが、続く言葉に軽く目を見開く。


「そのために、協力してもらえるだろうか」





 白いカップから、湯気がふわりと立ち上っている。
 まだ新米らしい侍女が、ぎこちない手付きで人数分のカップに紅茶を注いでいく。焦げ茶色のふわふわの髪に、同じ色の目をした、愛らしい顔つきの侍女である。小柄だが、多分二十代ではないだろうか。
「あなたの名前を、聞いてもいいかな?」
「ローナと申します」
「わ、かわいい名前」
 こずえが褒めると、ローナはその可愛らしい顔を朱に染めた。そんな彼女に、セルディがごく軽い調子で声をかける。
「悪いが、下がっていてもらえないか」
「判りました。御用の際はお呼びくださいませ」
 ぱたぱたという足音が遠ざかっていく頃合を見計らって、セルディが口を開いた。
「それで、フェルティアーナ様。今回のことを、もう一度確認させていただいても宜しいでしょうか?」
「ええ、勿論ですわ。我がフィラデルフィア家の領地では、最近、出産間近の妊婦や幼い子ども、それに母親が、次々と姿を消しています。発見された者は例外なく遺体は白骨化しておりました。また、遺体は全て、水辺でみつかっております」
「なるほど。それで、フェルティアーナ様。あなたには、犯人について、何かしらのお考えが浮かんだとお聞きしましたが」
 フェルティは少しのあいだ考え込むかのような仕草を見せたが、やがてきっと顔を上げて話し始めた。
「私は、お母様ではないかと思っているんですの」
「何故?」
 重ねられた問いに、フェルティは声を潜めて話し出した。
「……元々王家の方です。自尊心は人並み以上に高いのですわ。アリス様が懐妊されてからというもの、実の息子のアルバート兄上が彼女にかかりっきりになっております。また、母は父と不仲です。最近、こころの状態が余り芳しくないようですし、失礼ですが、妊婦にそういう感情を抱かれても無理はないかと。こんな芸当ができるものとなると、魔力が相当高い者しかありえませんし」
「そうですか……失礼ですが、アリス様の出産予定日は?」
 そういうセルディも、この屋敷に来てからというもの碌にアルバート・アリス夫妻と話せていない。アリスは身重の身であるからセルディが止めたのだが、件の事件のせいでやや神経質になっているアルバートは、最低限のやりとりを交わしたきり直ぐ妻の傍に戻ってしまったのだ。アリスはこずえと同じくらいの体格らしいから初産が心配なのはわかるのだが、ここ数日ほど落ちつかなさそうにしているらしく、フェルティがわざわざ隠居した父を呼び出して、仕事が手に付かないアルバートの代わりに公務をさせているらしい。
 それもまた母を追い詰めた原因ではないかと、フェルティは言う。
「三日後です。ですから、兄もアリス様も神経を尖らせているのです。兄がさきほど顔を見せてすぐ寝室に戻ってしまったのもそのためです。無礼はお詫びいたしますが、私、もう心配で心配で――」
 胸を押さえて俯くフェルティの背中を、セルディはそっと摩ってやった。
「そういうことなら、コーディ、貴女は奥方様の部屋の傍に泊まらせていただきなさい。私とエランディールも近くに泊まらせていただこう。フェルティアーナ様、それで宜しいですか?」
 目に涙さえ浮かべてフェルティはセルディを見詰めた。
「有難うございます。お二人がいらっしゃるならば、心強い限りでございますわ……」
 いかにも、それらしい様子を装ってフェルティは話す。エリオットとこずえはそれにうんうんと相槌を打っていたが、やがて廊下にあった僅かな気配が遠くへ離れていくのを感じ取ったエリオットが、人差し指を立てた。
「……行った、かな」
「そう思われます」
 兄の言葉に返事を返して、エリオットはこずえに視線を戻した。
「恐らく今日、動きがある。コズエ、準備は良いな」
 強い口調で言ったエリオットに、こずえも無言で頷いた。





 深夜、殆どの人が寝静まったころに、その影は動いた。ゆっくりと、しかし目立たぬように屋敷の中を移動し、二階へと上がっていく。それから忍び足で立ち並ぶ部屋の内の一室へと入る。その間、物音一つも立てなかった。
「アリス様、魔物が出ました。至急、お逃げになる用意を」
 柔らかな女の声で、その影はアリスに話しかけた。対するアリスの返答は、眠いのか、ややもすると聞き取れないほどの小さい声である。寝台から少し身を起こし、焦点の合わない瞳を底知れぬ闇に彷徨わせる。
「なあに? わたくし、眠いのだけれど……」
「時間がありません。早く」
 言って、影はアリスに衣服を差し出す。今のアリスは白い寝間着一枚という格好なのだ。
 ようやく目が覚めたらしいアリスは、驚いたような顔で侍女を見る。夜の帳はもう辺りを覆っており顔はわからないが、普段アリスに侍っている侍女のうちの一人であるらしい。
「もう、近くまで来ているの?」
「ええ。アルバートさまが退治をしに出かけていらっしゃいますが、万一ということもあり得ますので、私がこうしてお迎えに参りました次第でございます」
 侍女が淀みなく言うと、諦めたようにアリスは衣服に袖を通し始めた。侍女は無言でそれを手伝う。高貴な人物――特に女性にはよくあることだが、アリスも一人では服を替えることさえままならないのである。しかも、服を着るという単純な動作にさえ、一分と意識を集中していられないのがこのアリスという女性なのだと、程なく影は知ることになる。
「ああ、わたくし、怖いわ。魔物はもう、どこまで来ているのかしら」
 状況は理解しているのであろうに、アリスのどこまでも能天気で――どうせ誰かが守ってくれるだろう、という良く言えば楽観的、悪く言えばお気楽な考え方に、侍女は微かに口の端を持ち上げた。馬鹿にしているのではない。貴族の女性というものはどんなところでもこういうものなのだから。戦が起ころうと、他国が攻め入ってこようと、魔物が跳梁跋扈していようと――彼女たちは家族の男性、もしくは夫が自分のことを守ってくれるものと、端から決めてかかっているのだ。そのお気楽さは実に敬服に値する――と影は少し皮肉気味に考えている。
(お蔭で、随分とやりやすい)
 ようやくアリスが服を着終えると、影はアリスが寝台から降りるのを手伝いながら、ひっそりと耳打ちをする。
「屋敷の外に、馬を二頭と供の者を用意しております。先ずはそちらへ」
 言うと、アリスが怪訝な顔になった気配が伝わってきた。
「馬に乗るの?」
「ええ」
「馬は苦手なのよ。せめて馬車が欲しいわ。お腹に子どもがいるというのに、腰でも打ったらどうしましょう」
 遂に影は心の中でアリスを嘲笑した。状況が判っていないのにも程がある。この女性は、どうやらその家格に釣り合うほどの頭の中身を持ち合わせていないらしい。けれどもそんな内心での感情の動きはおくびにも出さず、影はそっとアリスを先導して、屋敷の入口へと向かった。
「あら? 供の者がいないようだけれど」
 入口に着くと、アリスは驚いたかのような声を出した。月が雲に隠れているせいで表情までは判らない。影は噛んで含めるように説明をする。
「申し訳ございません、手違いがあったようです。わたくしがお供を致しますので、どうかしばしの間のご辛抱を」
 出来るだけ済まなそうに言ったつもりだったが、影は多少の叱責は覚悟をしていた。そもそも供の者などいるはずがないのだが、貴族の女性は自分に与えられて当然と思っている権利が侵害されることになると、ひどく立腹するからである。
 しかし、いきり立つかと思われたアリスの反応は、拍子抜けするほど大人しいものだった。
「そう……わたくし、もう眠いから寝ることにいたしますわ……おやすみなさい」
 どうやらかなり眠いのを押して自分に付いてきたらしい、と影は今更ながらに思う。それも当然かもしれない、彼女は腹の中に別の命を宿しているのだから。
(もうすぐ、二つともが我のものに)
 そう思って、影は密やかに笑い声を零す。嬉しくて仕方がないというような、そんな笑い方だった。
 これからのことを考えると、アリスが早い段階で眠ってくれたのはありがたかった。気絶させるより楽だし、騒がれる心配もない。その殊勝な心がけに免じて、その命を頂くときは出来るだけ楽に、そして素早くあの世に旅立てるような殺し方をしてやろうと思う。
 けれども、まだ――屋敷を出るまでは、自分は侍女でありつづけなければならない、そう思って馬にアリスを乗せ、その後ろに飛び乗る。馬を駆けさせて、直に川のほとりに出た。
「魔物は屋敷のほうに出ました。ここならば安全で――」


「どこに魔物が出たのか、わたくしにも教えていただけるかしら」




 凛と響くは、彼女のよく知る少女の声。影はゆっくりと振り返った。









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