第2章 聖女と魔女



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「初めまして、コーディリア様。話は聞いています。私はセルディナート、そこにいるエランディールの兄です。あなたがたに同行させていただきます」

 そういって微笑んだ男性に、こずえも慌てて頭を下げた。銀色の髪に、空色の瞳と、色合いはディルカートによく似ているのに、印象はまるで違う。柔和で穏やかそうな笑った顔には、含みがまったく見当たらない。
「お久しぶりです、兄上」
「エリオットも元気そうで何よりだよ」
 エリオットに向ける眼差しも柔らかい。なんというか、落差の激しい三兄弟だなと、そんなことを思う。
「なんでも、フィーネの代わりにこの国に飛ばされてしまったそうで。……申し訳ないことを」
「い、いいえ」
 こずえの言い分を完全に信じているかはやはり疑わしいものの、少なくともこずえを頭から莫迦にしている様子ではないので、多少安堵した。
「あのこが消えてから、もう随分が経つ。……コーディリア、とお呼びしても?」
「はい。セルディナート様」
「セルディでいい。面倒だろうし。――あなたの目は、フィーネに生き写しだ」
「え?」
「あのこも、君と同じ、漆黒の目を持っていたんだ」
 過去を懐かしむ響き。空色の瞳に含まれる情愛に、胸がちくりと痛んだ。
 こずえが黙っていると、セルディは微笑んだ。
「妹のためなら、喜んで力を貸そう。実を言えば、執務続きで体が鈍っていたところなんだ。たまには外に出て、体を動かすのもいいだろう」
 にっこりと微笑まれたので、こずえも微笑み返す。
 と、頭の上が、急に重くなった。
(?)
「フレイア!」
 頭の上に注がれる視線。何だろうと思いつつ、こずえは頭上に手を伸ばし、頭の上に居座っていたものを、視線の位置まで持ってきた。
 それは、小さな龍だった。
 ルビー色の瞳に、それよりやや薄い色のからだ。体長は五十センチほどで、全身が光沢を持つ鱗に覆われ、頭からは真珠色の角が出ていた。
「え、え、これ、……ドラゴン?」
「おや、フレイアは、コーディリアを気に入ったみたいだね」
「きゅ」
 セルディの言葉に答えるように、フレイアが短く鳴く。そうしてこずえの手を離れ、ぱたぱたとエリオットの方まで飛んでいく。
 近くに寄ってきたフレイアの頭を二度三度撫でてやると、エリオットは口を開く。
「こいつも、所謂魔だ」
「いや、そんな悪さしそうなこにみえないんだけど……」
 思わず突っ込むこずえだが、エリオットは澱みなく続ける。
「ちょうど良いから説明をしておく。魔物は『強大な魔力を持った、人間以外の生き物』というのが基本の定義だ。だから、フレイアのようなドラゴンも魔に含まれる。一方で、魔力の量が微量、もしくは無い生き物は動物と呼ばれている。因みに魔物は人間と殆ど接触しようとはしない」
「ああ、そうか。オリエンタルには殆ど魔物は棲んでいないそうだね。だったらコーディリアには、きちんと説明をしないといけないわけか」
「ええ、そうです。折角フレイアもいることですし」
 自分の名前が出たとわかったのか、ぱたぱた、と翼を上下させていたフレイアが、こずえの頬に擦り寄ってきたので、頭を撫でてやると、「きゅう」と嬉しそうな声を上げた。その愛らしい仕草に、思わずこずえの頬が緩んだ。
「魔物はその属性によって大まかに二つに分類される。光属性の魔物(ライトネス)と闇属性の魔物(ダークネス)とに」
「あれ、火、水、樹、風、地じゃなくて?」
「ああ、ライトネスかダークネスかは行使する魔法の属性とは関係がないんだ」
「なるほど。で、その属性ってどうやって見分けるの?」
「ライトネスは日光を媒介として魔力を行使し、人間などの他の種に対して好意的。精霊の力を借りて魔法を行使する人間とは、使用する魔法の仕組みが違うんだ。日光の下でなら、ほぼ無制限に魔法を行使できるところも、人間とは異なる。ライトネスが好意的というのは、自ら攻撃を仕掛けるのを望まないという意味だ」
 エリオットが言った後をセルディが受け継いだ。
「それで、ダークネスは月光を媒介として魔力を行使する。他の種に対して排他的で、嗜虐性が強い」
「魔物ってどんな姿をしてるの? 動物とは違うの?」
「それも追い追い話す。それで、魔物はその魔力の量によって位階付けが為されているんだ。上から、ライトネスは天魔、光魔、聖魔、精魔。ダークネスは悪魔、凶魔、妖魔、邪魔」
「悪魔って、ルシファーとかベルセブブとかリョローナみたいな?」
「それは何だ?」
 思わず訊くと、エリオットが怪訝な顔をしたので、説明を加える。
「ええっと、ルシファーは冥界――死者の国の王で、堕天使と呼ばれているの。強大な力を持っていると言われている。で、ベルセブブは蝿の王。リョローナは――」
「悪魔と言えば代表的なのが殺戮と破壊を司る悪魔、ヘルキュロスだが」
 怪訝な顔をしたエリオットにそのまま説明を加えようとしていたこずえだったが、セルディが苦笑しながら彼女を見ているのに気が付いて、我に返った。
「ごめんね、コーディリア。説明してもいいかな?」
「あ、すみません」
「それと、どちらにも属さない最高位の魔――神魔がいるんだ。文字通り、神に匹敵するほどの魔力を持った魔物で、世界に一個体しか存在しないといわれている。また、神魔だけが全ての属性の魔法を使うことができる。それと、この神魔にしか使えない属性が【天】で、最強の魔法と言われているんだ」
 神魔、とこずえは口の中で反芻した。なぜか、前に世界史の資料集で目にした「受胎告知」の天使ガブリエルの姿が目に浮かんだ。
「精魔や邪魔は市街にも偶に出現するが、位階が上がるにつれて希少性はどんどん増していく。光魔だとその土地の守り神になっていることも多いし、悪魔が出現した日には大災害が起こる。悪魔一個体の退治に一軍が必要な場合もあるんだ」
「一軍……」
 こずえは呟いた。一軍と言われても余り実感が湧かないが、強大な力を持つことはわかった。
「そして、ここからが重要なんだけどね。光魔や凶魔以上の魔物は、本来の姿の他に人型を取ることができる。聖魔や妖魔でも稀に人型を取れるものがいるけれど、そういう魔物は例外なく強力な魔法を使用する。特に天魔や悪魔など、魔力量が高くて位階が高い魔物ほど、美しい容姿をしているんだ」
「だから、人間のあいだに混じると区別がつかないことがある?」
「そういうこと。まあ、そういう魔物は魔法を使ってくれれば区別が付くんだけど、黙っているとまず見分けがつかないからね」
 つまり人間だと思っていたら、実は魔物でした、ということがありうるんだな、と、こずえはその事実を頭に叩き込む。油断していて魔物に頭からばりばりと喰われるなんて、そんな最後はご免だ。いや、魔物が人間を捕食すると決まったわけではないのだが。
 ぱたり、とフレイアがエリオットの肩に移動するのを見て、こずえの頭に新たな疑問が浮かんだ。
「あれ、じゃあフレイアって何魔?」
「天魔の幼生だな。ドラゴンは殆どが天魔か悪魔だが、フレイアはライトネスだ。まだそれほど強力じゃないが、成長すれば強大な存在になるだろう」
 エリオットの袖をくいくい、と引っ張ってきらきらとした目で彼を見つめるフレイアは、とてもではないがそんなご大層な存在には見えないのだが、こずえは「ふぅん」と頷いておいた。
「でも、そうだとしたらドラゴンって希少なんじゃないの?」
 ああ、とエリオットは少し苦笑した。
「こいつは例外なんだ。俺が小さい頃に屋敷に迷い込んで、それからずっと一緒にいる。人に慣れるのは珍しいんだが、コズエにはよく慣れているな」
 きゅうきゅう、と言いながら、フレイアがこずえの手に頭をこすり付けてくる。その様がなんとも愛らしく、こずえの頬はもはや緩みっぱなしである。
 エリオットもその様に僅かに微笑を浮かべ――けれども、すぐに笑みを消して厳しい表情になった。フレイアも雰囲気を察知したのか翼を畳んで寝台の上にちんまりと着地した。
「――それで、本題なんだが、」
「うん」
「これからまず、フィラデルフィア公爵家に向かう。彼の家とセントソフィアは繋がりが深いし、向こうで最近妙な事件が多いようだから、見にいったほうが早いという話になった」
「妙な事件……もしかして、魔物の話をしてくれたのも、それで?」
「ああ」
 ひとつ首肯したエリオットの後を、セルディが引き取る。
「妊婦や幼い子供が、川の傍で次々と溺死しているんだ。しかも見つかったかと思えば例外なく白骨化している。場合によっては魔の関与もありうるから、コーディリアにはできるだけ私たちの傍にいて欲しいと思って、今の話をしたんだ」
「わかりました」
 こずえは一つ頷く。自分には身を守る手段がないのは重々承知しているので、もとより彼らから離れて単独で行動する気はない。
「しかし、婚約者殿にお会いするのは暫くぶりだな」
 優雅な仕草で腕を組んだセルディに、こずえは首を傾げた。
「婚約者?」
「ああ、そこの令嬢フェルティアーナは、兄上の婚約者なんだ。出産間近の兄嫁の身が心配だからと連絡を寄越してきたのもフェルティアーナだ。なんでも、兄嫁に心労をかけたくないし、兄は妻の出産が心配で公務に手がつかないから自力で解決したいらしい。おまえと気が合うんじゃないか」
「へえー、美人?」
 我ながら下世話だとは思うが、この国に来てからこっち、見目の良い男性には立て続けに出くわしているが、女性版には未だ出会ったことがないので、少しだけ期待してしまったのだ。これほど見てくれの良い女性がいたらそれこそ国宝ものだと思う。
 果たして、望んだとおりの答えが返ってきたのだが、続く言葉が少々予想から外れていた。
「美人というか、美少女だな、外面だけは」
 ……中身が問題だ。と渋い顔で呟かれ、こずえは首を傾げた。
「え、どういうこと?」
「まあまあ。エリオットも気にしすぎじゃないか。いくら初対面で泣かれたからって」
「詳しい事情を聞きたいです!」
「おい、」
 こずえの元気の良いおねだりにエリオットが更に渋面になったが、セルディが笑顔のままで口を開き、諦めたような表情になった。
「初めて会ったとき、エリオットが緊張の余り凄い仏頂面だったんだよ。で、それを見たフェルティアーナ様が大泣きして。エリオットもどうすればいいのか判らないでおろおろしているし。見合いも兼ねた顔合わせだったんだけど、余りの相性の悪さに両家の親が仰天して、慌てて引き離したというわけさ。フェルティアーナ様もエリオットも忘れれば良いのにいつまでもそれを引きずって、暇さえあれば喧嘩してる」
 エリオットはその話を聞いているあいだずっと黙ってそっぽを向いていたが、こずえは、実は相当仲のいい二人なのではないかと感じた。
(だって本当に嫌いだったら喧嘩は成り立たないよね)
 短い付き合いの中でも、エリオットは、本当に嫌いな相手は存在ごと無視しそうな印象がある。
 しかしエリオットと喧々諤々の言い争いを繰り広げられる女性など、少し、いや全く想像がつかないので、逆に興味が湧く。
 こずえはフェルティアーナという人物について更に訊ねようとしたが、ぼうっとしているあいだに話がどんどん進んでいたことに気づいて慌てて顔を上げた。
「さて。では、コーディリアの合意も取れたことだし、」
 立ち上がったセルディが、こずえに向かって恭しく手を差し伸べる。





「向かおうか、フィラデルフィア家へ」









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