「戻るって、どこに?」
「俺の屋敷に。もともと、妹を探すのは一月までという約束だったんだ。一旦屋敷に戻って、細かい手配をしないと。やはり外では勝手が違うし、コズエの事情を聞いておきたい。宿では誰に聞かれるかもわからないし」
そう言われてやってきたのは見覚えのある屋敷である。
「……ここ、私が目が覚めたらいたところだ」
「そうなのか?」
「お帰りなさいませ、エランディール様。万事整ってございます。……あ、あなたは!」
「彼女は、アリアの街で見つけたんだ。賊に絡まれていたから、とりあえず連れてきた」
驚いた顔をした侍女に、エリオットが細かい説明をするあいだ、こずえはすることもないので屋敷の調度を観察していた。人物の服装などは大分異なるが、調度だけは強いて言うなら中世ヨーロッパのそれに近い。
「行くぞ」
やがて会話を終えたエリオットに案内されて、こずえは屋敷の中の一室に着いた。ここも、煌びやかではないものの趣味の良さを感じさせる内装だった。
「ていうかさ、エリオットって、」
「なんだ?」
「ううん、なんでもない」
言いかけていた言葉を飲み込んで、こずえは笑顔を浮かべる。多分彼はそうとう身分の高い人なのだと思う。けれど、彼から言い出さない以上、わざわざ指摘することもないだろう。畏まられるのが嫌いなのかもしれないのだから。
「さてと、欲しいものがあれば言ってくれ」
言いつつエリオットが、眉間に皺を寄せたので、こずえは少し後ずさりした。
「え、なに?」
「いや、なんと言えばいいのか、」
それきり黙ってしまったエリオットを、怪訝な顔で見たこずえは、ちょっと顔を顰めた。
(……う、痛い地味にいたい)
実はこの部屋に来る途中で登った階段で、足を捻ってしまったのだ。大した痛みではなかったので放っておいたのだが、ここにきて痛みが増している気がする。
「ちょっと待て、コズエ」
「はい?」
「おまえ、足を痛めてるだろう」
少し驚く。挫いたときにだいぶ前を歩いていた彼が気づいていたとは思わなかった。
「あはは、ばれた?」
軽く笑って言ってみると、ますます眉間の皺を深くされた。逃げたい。
「そこに座ってろ」
逃げたいという思考を読まれたのか、すぐに手近な椅子を示されたので、こずえはおとなしく椅子に腰を下ろした。逃げたい気分は相変わらずだったが。
「うう、ごめんなさいエリオット」
「何でもいいから動くな」
「はあい」
「あとこれを膝にかけていろ」
「ああうん、ありがとう」
膝掛けらしきものを放られ、これもおとなしく膝にかける。
「実はちょっと寒かったんだ。ありがとう」
「・・・・・・ああ、そうだな」
少しの間を置いた返答が気にかかりはしたものの、こずえの注意は直ぐ目の前に移った。エリオットがこずえの足首に手をかざす。何をするつもりなのかと思っていると、賊を追い払ったときと同じように、ぶつぶつと何かを言っている。今度はちゃんと聞き取れたので、こずえはその奇妙な文句に耳を傾けた。
「癒しの風を以って大地に花咲かす風の神、シルフィードよ。己が力を以って、彼の者の傷を癒せ」
言葉と共に、こずえの足首に集約していく光。飴玉くらいの大きさになった光は、次の瞬間ぱんっと弾ける。
「え、なに」
眼を丸くしたこずえに、エリオットはやはり端的に訊ねてきた。
「痛みは?」
言われて足首をくるくると動かしてみる。――痛くない。
「あれ、痛くない」
「大丈夫そうだな」
雰囲気が和らいだのはよかったが、そこで話を切り上げられても、こずえとしては混乱するばかりである。
「え、え、今エリオット何したの?」
「何したの、って、魔法を使ったんだろう」
当たり前だという調子で紡がれた言葉に、こずえは目を見開く。
「魔法? え、魔法ってあの魔法ですか」
「……もしかして魔法も知らないのか?」
「うん」
きっぱりと答えると、エリオットは困惑した表情になって考え込んだ。莫迦にしているとか知識の無さに呆れているといった風情ではなく、純粋にどう説明するか悩んでいる様子だ。
「あー、……全ての人間は五神のうちいずれかの加護を受けている、ここまではいいか?」
「五神?」
末尾に疑問符がついたこずえの台詞に、今度こそエリオットは頭を抱えた。
「ちょっと待て、五神も知らないのか? まさか、魔物も知らない?」
「まもの?」
こずえの頭が、更に大きく傾ぐと、エリオットは大きく息をついた。
「わかった。ではまず、五神から説明しよう。魔法の説明に大きくかかわってくるからな。戦いの炎、サラマンドラ、守護の水、オンディーネ、癒しの風、シルフィード、束縛の樹、ドリアデス、豊熟の地、ガイア――五大元素を司る五神だ。因みに俺は風の神シルフィードの加護を受けている。地と水は火に強く、風と樹は水に強く、火と地は風に強く、風と火は樹に強く、水と樹は地に強い」
「えっと、火と水と風と、それって、魔法を使うときに何か関係があるの?」
頭痛がしてきたので話題を替えるとエリオットは大きく頷いた。
「主に解呪――魔法を解くときに関係がある。その属性に強い属性で解呪をすれば、あっという間に魔法は解けるが、その術をかけた本人に、凄まじい負荷がかかってしまう。同属性の魔法だと、解呪に時間がかかるものの、術者にかかる負担が小さいんだ。
そして、誰かが魔法を使おうとするときは、言葉を媒介にして五神に働きかける体裁をとっている。だが実際には、自分の持っている魔力を使って、空気中に散らばっている元素を司る精霊に働きかけて、魔法を行使するんだ。つまり、魔力は、精霊の力を借りて初めて魔法としての行使が可能となるんだ。精霊は神々の魔力によって生かされているから、彼らの力を借りるときには神々に断りを入れないといけないという訳だ。精霊は大体どんな場所にもいるが、精霊が存在しない場所では原則魔法は使えない。精霊の魔力を借り受けて創る魔法具でもあれば別だが、それでも威力は格段に劣る。それと、血液を媒介にした魔法は威力が高い」
「精霊って此処にもいるの?」
「いる。俺には見えないが、精霊に愛された人間には空気中にきらきらとしたものが散らばっているように見えるらしい」
「へえ。じゃあ、魔力の差とかないの?」
「個人によって持っている魔力量に差はないのか、という意味か?」
「うん」
「答えを先に言ってしまうと、ある。ただし、魔力が多いというのはけして歓迎される事態ではない。そういうときには、術者の魔力の器が耐え切れない場合が多いんだ。ただ、普通の人間なら魔法を使い過ぎなければ健康を害することもないから、健康を害さずに術者の使える魔力の多寡によって、その魔力量が多い、もしくは少ないと表現する」
「……因みに、魔力に体が耐え切れなかった場合は?」
こずえが恐る恐る問いかけると、エリオットは無表情のまま説明した。
「精神が破壊されてしまう。まあ、大抵は行使しなければ魔力も活性化せずに済むから、そんなことは滅多に起きないが。ついでにいえば、禁じられた呪文にさえ手を出さなければ、普通の人間が命に関わるほど健康を害すことはない」
「禁じられた呪文?」
「一般には余り知られていない呪文だが、巫蠱(ふこ)――悪意をもって他人を痛めつけようとする呪文のうち、例えば相手の死や破滅を願うもの、それに死者を蘇らせる呪文等のことだ」
「うん、だいたいわかった。で、魔物って?」
納得したこずえが新たな説明を求めると、思いも寄らない方向に話が向かった。
「魔物は多分、実際に目で見たほうが早いから、おいおい話す」
「?」
「ここからだいぶ南東に行った小国ブルーメンブラットでは、召喚術の研究が盛んで、ニホンではないが、別の世界から幻獣を呼び出す研究が行われていると聞く。そこに行けば、手がかりが見つかるかもしれない。妹とコズエを、元の世界に戻すための」
そこに向かう途中で、魔物に遭遇する機会もあるだろう、そう続けられて、こずえは驚愕の表情を浮かべた。
「信じて、くれるの?」
「ああ」
「なんで?」
むしろあっさりと信じてもらえたことの方が俄かには信じがたいといった表情を浮かべたこずえに、エリオットは考え考え言葉を紡いだ。
「先ほど見せられたおかしな道具のこともあるが……、五神も魔物も魔法も知らない。こんなことはどこの大陸に住んでいたってありえない。魔法が使えない土地はあっても、魔物が生息していない国は存在しないからな。かといって他の方面の知識がないわけでもない。となると、異世界からきたというのは、あながち突拍子のない話ではない」
そこで一旦言葉を切って、今度はこずえを真っ向から見詰めた。
「異世界から飛ばされたんだとしたら、俺一人の手には負えないし、専門家の手を借りる必要がある。だから、ブルーメンブラットに向かいたいんだが、……コズエはどう思う?」
「それ、私が付いていっても、足手まといになるだけじゃないかな」
「いや、それはない」
当然といえば当然のこずえの弱気の発言に、エリオットは確信を持って首を振った。
「異世界を渡る召喚は殆ど例がない。フィーネがニホンにいって、こずえがランセ王国に来たなら、おそらく入れ替わりに召喚されている。それなら、戻るときも恐らく入れ替わりの形になるから、俺のそばについてきてもらった方が話が早い」
「なるほど。わかった、それなら賛成」
「ただ、父上の許可を得ないと始まらないし、恐らく、一直線に向かうということにはならないと思う。さすがに長期に渡って領地を空けるとなると、父の許可が必要なんだ。それで、ブルーメンブラットはここからかなり離れているし、近頃は情勢が不穏で、父上も気がかりな場所が随分おありのようだから、これを機に何箇所か見て回る必要がでてくるだろう。それでもいいか?」
「全然。むしろエリオットはいいのかって聞きたいくらいだよ」
「なら、交渉成立だな」
とんとん拍子に話が進んで、ちょっと拍子抜けしたこずえは、窓の外の景色を見ようと、椅子から立ち上がろうとした、が。
「わ」
急に室内に吹き込んだ風。こずえは咄嗟に膝掛けを手で押さえようとしたが、間に合わず、膝掛けが捲りあがり素肌が寒風に晒された。
「わー、寒いね、エリオット」
少年に顔を向けたこずえはしかし、おかしなことに気づく。
(あれ?)
不自然に、少年の視線が、上を向いている。
(あ)
脳裏を過ぎるのは、この屋敷に仕えている侍女たちのスカート丈。膝下10センチほどを覆う長さで、腿どころか膝まできっちり隠されていた。
対して、自分はTシャツにショートパンツで、ショートパンツの下からは腿が惜しげもなく晒されている。日本ではありふれた格好であるし、慣れていたこともあって特になにも思わなかったが、この格好は、もしかすると。
(目の毒、っていうか、……非常識だったんじゃ)
とすると、エリオットは、自分に気を遣ってくれたことになる。
「ご、ごめんなさい、非常識な格好だったよね」
「顔をおろしてもいいか」
「あ、どうぞ」
視線を再度こずえに合わせた彼は、一見するとまったく動揺していないようだったが、こずえに合わせたはずの視線が微妙に定まっていないあたりに、気まずさが漂っている。
たっぷりと間を置いて、やっとエリオットは言葉を絞り出す。
「……そちらではそういう格好がふつうなんだろう、気にするな」
「あー、うん、でも、こっちじゃ誤解されかねない服装なんだよね?」
「まぁ、そうだが」
やっぱりそうなのか……、と落ち込みかけたこずえに気づいて、エリオットは僅かに慌てたようだった。
「いや、第一、雰囲気が違う。そういう生業についている者は、どこか濁った目をしているものだ。だが、」
言いにくそうに口ごもる。たどたどしくも懸命な励ましであっという間に回復したこずえは、彼の意を汲んで大きく頷いた。
「うん、着替えるよ。なにかいい服ないかな?」
「フィーネの服が、あるにはあるんだが。身長も同じくらいだし、こずえさえよければ、しばらく堪えてもらってもいいか。出来るだけ早く、調達できるようにする」
「ああ、私なら大丈夫だよ。ちょっと寒かったし、ありがたいくらい。むしろ妹さんが不快に思わないかが心配なんだけど」
「あいつなら、大丈夫だろう」
そういう横顔はやはりどこか優しく、そして寂しげだった。こずえは話題を切り替えようとして、今度こそ窓の外に身を乗り出す。
「どうかしたか?」
問うてきた少年に、楽しげに笑って見せる。
「うん、綺麗だなぁって思って。私のいたところでは、こんな景色、滅多に見られなかったから」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「え?」
疑問の声に、エリオットは、しまった、と言う顔をして、渋々ながら説明をした。
「……はっきりとは言っていなかったな。ここ一帯は、俺の領地なんだ。父から、ノルテ地方の西方の一部の統治を任されている」
「えええ、すごい! エリオットすごい! じゃあ、ここの戸籍管理したりなんだりしてるんでしょ? 大変じゃない?」
こずえの勢いに驚いたのか、エリオットは少し身を引いた。
「まぁ、ここは、穏やかな場所だから、実際にすることは少ないんだ。これから向かうところは、ここほど穏やかではないが」
「え?」
「父上の許可を取る、そのためには、本家に向かわないとならない。だからここを出たらまず本家に向かう。ブルーメンブラットに行くのはそれからだ」
「……」
「大丈夫だ、」
こずえの不安を感じ取ったのか、エリオットが表情を緩める。
「妹の手がかりをくれた礼だ。コズエがニホンに戻れるように、最大限の援助をする」
その、誠実さが溢れる言葉に。
こずえは、この土地に来て初めて、心からの安堵を覚えた。
そして、出立当日。こずえはごく少ない荷物をポシェットにつめ、エリオットを待っていた。手持ち無沙汰なので、なんとはなしに空を見上げて、軽く息を呑んだ。
(ああ、空が蒼い)
「どうした?」
やってきたエリオットに聞かれて、こずえはちょっと口篭った。
「いや、……空の色は同じなんだな、と思って」
右も左もわからぬ世界。いつ帰れるかもわからない。もしかしたらずっと帰れないかもしれない。それが、ずっと不安だったけれど。
(いつかきっと、帰れる)
根拠のない確信。けれどそれはこずえに前へ進むための希望をもたらした。
「ねぇエリオット」
「なんだ?」
知らない場所だけれど、そばにいてくれるひとが、支えてくれるひとがいる。その幸運に感謝して、こずえは微笑んだ。
「これからよろしくね」
こうして、決して交わるはずのなかった二人の物語は始まった。
彼らの物語は歴史に残ることはなく、やがて時の中に埋もれていく。
けれど、彼らが確かにそこで懸命に生きていたことは、彼らの子孫によって、遠い後世にまで語り継がれていくのだ。
これは、名の無い物語。
歴史に記されぬものたちの、変わらぬ想いを記したはなし。
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copyright@ Mitsuki Minato 2011- Since 2011.10.22.
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