第3章 久遠の緑樹



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「すみません、ご心配をおかけしました」
「大事なくて本当によかったわ。でもコーディ、ほんとにもう大丈夫なの?」
「うん、もうすっかり元気だよ。セルディさんも看病して下さったそうで、ありがとうございます」
「いいや、たいしたことはしていないよ」
 後ろの方で聞こえよがしに「本当に迷惑。足手まといになると考えるだけの頭がないのですね」という言葉が聞こえたが、残りの全員が聞こえなかったふりをした。
 ちなみにこずえがヒルダに関して学んだことは、「拘わらないのが最善」の一言につき、あからさまにならない程度にヒルダとふたりきりにならないようにしている。他の面々もそれは察してくれている様で、さりげなくこずえとヒルダを引き離してくれたりする。
(……どうしようもないことって、確かにあるからなぁ)
 たとえこずえが友好の意を示して分かり合おうとしたって、おそらく根底にある思考回路から異なっているヒルダと普通に会話をするのは難しいだろう。エリオットもそれは重々承知しているらしく、「仲良くしろ」とは言ってこないのがありがたかった。
 みんなと仲良くしましょう、が通用するのはそれが小学生相手だからである。世界には、関わらないほうがお互いの為になるという関係も確かに存在している。
(いまのところ、実力行使に出てこないのはありがたいけど……)
 正直、こずえを人間とも見做してなさそうなのがかなり不安である。セルディやエリオットにばれる心配が無ければ。さっさとこずえを葬ってしまいたいくらいなのではないか。実際、周りに配慮するという概念を持たない彼女は、一行の中で妙に浮いてしまっているのだ。
 そんな思考をしていたものだから、うっかりヒルダと視線が合った瞬間、こずえは全力で眼を逸らしていた。ヒルダが口を開いた瞬間、機先を制したセルディがにっこり笑って彼女に話しかけた。
「さて、コーディリアも全快したことですし、ヴェールの樹を見に参りましょう。エルダの話では、町の中心部にあるそうですから、中心部を目指しましょうか」
 端正な顔に穏やかな笑みを浮かべると、なんというか、見る者をことごとく蕩かしてしまいそうなほどの魅力が出現する。例に漏れずヒルダが一瞬目を奪われたのを目撃して、こずえは僅かに苦笑したのだった。





「これがヴェールの樹のようですね」
 雲を突き抜けて存在する樹。幹からして太く、こずえが五人がかりでようやく周囲を囲めるほどだ。沢山の梢が広く街の上を覆い、かつては夏場に憩いの場所を提供していたのだろうと想像できるその樹は、残念なことに葉を一つ残らず落としてしまっている。樹の周りに生えている花だけが風景に彩を添えているが、冬のことなので、やはりどこかもの寂しい印象だ。
「兄上、これがエルダの言っていた根でしょうか」
 エリオットが地表の一点を指さすと、セルディも同意した。
「だろうな。……たしかに、この様子は異常だ」
 何故こんなことが起こっているのかと男性陣が論議している間、話に入っていけないこずえがぼんやりと樹を眺めていると、くい、と袖を引っ張った者がある。
「コーディ、上の方を見に行ってみない?」
「え、でも。私は魔法を使えないよ?」
「私は使えるわ。セルディナート様、わたくし、少し上の方を見に行って参りますわ!」
 視界に映ったセルディはまたもやヒルダにひっつかれている。フェルティは不快にならないんだろうか、と場違いな心配をしてみる。
 こずえの見る限り、フェルティは、ヒルダのようにべたべたとセルディにくっつこうとはしない。それはセルディのほうも同じで、単に衆目の前だからそうしないのか、それとも貴族というのはそういうものなのか、こずえにはいまいちわからないのである。
 が、そこでフェルティの表情がすぅっと冷えたので、こずえは目の前の大樹に視線を戻した。



「天高く、黄金の陽光を目指して伸びる草木、彼らを守護せし樹の神、ドリアデスよ。己が木の力を以って、我らを彼の地へ運べ」



 言葉と共にしゅるしゅるという音がしたので、こずえは音のする方に目を向けて目を見開く。
 ヴェールの樹から緑の蔦が次々と地上近くまで降りてきては絡み合い、大きな籠のようなものを形成していく。おそらく、遊園地などにあるゴンドラが近い。さきほどまではどこにも見当たらなかった蔦があっという間に何百本と出てきたので、こずえは唖然とした。
「出来たわ、乗りましょう」
 腕を取られて籠に歩み寄っていく最中に、こずえは蔦の籠の上部を観察した。何百――いや何千の太い蔦が緑の籠を支えているので、確かにこれに乗れば危険なく天辺まで行けるだろう。
 因みに、さすがフェルティと言うべきか、何百本と言う蔦は白、赤、橙、黄という色とりどりの花を咲かせているので、巨大な蔦の籠は他者を圧倒して尚、美しいと感じさせる見事な出来栄えだった。
 蔦の籠の一部がまるで扉のようにぱかっと開いたので、そのまま籠の中に足を進める。観覧車のゴンドラの如く蔦の座席まで完備してあることに心底感心しつつ、こずえはフェルティと隣り合って座った。
 ゆっくりと、花で飾られたゴンドラは、樹の側面に沿って上昇していく。
「……フェルティ」
「なにかしら、コーディ?」
 不思議そうにちょっと傾けられた小さな顔。上着の下に隠された肩がとても華奢な事も、こずえはもう知っている。
 花を抱き、小鳥を指先に止まらせることが似合うその風貌で、これだけのことを彼女はしてのけたのだ。
「このゴンドラ、すごくきれいだよ、すごいね」
「ごんどら?」
 非常に不思議そうな顔をされたので、ああ、この世界にゴンドラはないのかと納得しかけたが、
(あれ?)
 余りにも色々な事があったので忘れかけていたが、そもそもこずえの言葉はこの世界では通じていなかった筈だ。
(最初はエリオットとも話が通じなかったのに、いきなり会話が成立しだしたのはどうして?)
 しかも、しかもである。上流階級はいいとして、ローナや、彼女の犠牲者であったひとは庶民だった筈。イギリスほどではないにせよ、階級や地方が違えば、多少は発音も異なってくるのではないだろうか。
(ある程度はっきり発音されれば、全部同じように流暢に聞こえる)
 つまり、「聞き取っている」わけではなく、「意味がわかる」だけの可能性が高い。「意味がわかる」だけなので、発音の違いは「聞き取れない」。
(……なんで……?)
「コーディ? それで、『ごんどら』って、なんのこと?」
 フェルティの声に思索に沈みかけていた思考を引き戻され、こずえは慌てて笑顔を作った。
「あ、人が乗れる籠のこと、かな」
「なるほどね。ふふ、褒めてくれてどうもありがとう」
 にっこりと微笑まれると同性のこずえでもうっかり見蕩れてしまいそうである。正直セルディがちょっとどころでなく羨ましい。
「ねぇ、」
「なにかしら」
「やっぱりこの国でも、階級や地方によって発音は違ってくるよね?」
 この国に来てから日が浅いから、まだよくわからなくて。続けると、フェルティの目が丸くなった。一瞬、この子はこうやって砕けた会話だと感情を素直に出してくれるのが好ましいな、と、阿呆なことを考えた。
「え、ええ。そうね、やはり貴族と庶民では発音が異なって来るわ。勿論、国の北と南でも。とくに、ランセ王国の首都リディアが南部にあるから、北部の庶民と南部の貴族では随分発音が違うらしいの」
 珍しくかなり驚いたような顔をするフェルティを不思議に思っていると、予告なしに爆弾が投下された。
「でも、ならコーディはすごいわ! この国に来て日が浅いというのに、すごく流暢にルィン語を喋っているじゃない。確かに、ルィン語を話す人口は多いし、他の大陸でも公用語となっている国はあるけど、でもその分、方言の種類も多いのに」
(しまった!)
 もうなんというか何から何までしまった。ヒルダにばれていないのでまだましだが、フェルティは年齢に見合わないほど賢い。やがてこずえの出身に関する齟齬を見抜いてしまうだろう。藪を突いて蛇を出した、むしろ蝮が登場したくらいの勢いである。
「けれど、オリエンタルは」
 ぎしっ、と、今度こそこずえは固まる。
「あの国もルィン語が公用語だというし、合わせるの自体はそんなに難しくなかったのかしら?」
「え、う、うん」
 豊富な知識が故に勝手に納得してくれたので心底ほっとしつつ、これからは質問をするときは慎重になろうと、固くこずえは決意する。
 その時、ほら、とフェルティが樹の一点を指す。
「ついたわ」
 だが、こずえに返事をする余裕はなかった。
「…………」
「コーディ?」
 遠い。地表が限りなく遠い。フェルティの言葉が遥か遠くで響いている。話をしている間にどれだけ高くまで昇ったのだろう。地上に居る筈のエリオット達の姿が見えないどころではなく、家々でさえ爪の先ほどの大きさにしか見えない。
この高さから落ちたらどうなるだろうという疑問が頭をよぎり、ついでに言えば落ちた後のやけに鮮明な想像が頭に浮かび、こずえは真っ青になって戦慄した。
「コーディ、気分が悪いのね? なら直ぐに降ろすわ、待ってて」
「……ううん、お願いだから出来るだけゆっくり降ろして……」
 高所恐怖症でないので大丈夫だと思っていたが、この高さはさすがに想定外だった。迷惑をかけてしまっているのに、フェルティが終始こちらにさりげない気配りを寄越してくれているので、さらに自己嫌悪が強くなる。
「下を見ない方がいいわ。……ごめんなさい、コーディは病み上がりなのに、配慮が足りなかったわ」
「ううん、フェルティのせいじゃないよ。私が、断らなかったから。でも、うん、下見ないようにする……」
 助言に従い樹の上部を眺めていたこずえは、一瞬、気分の悪さも忘れてあれっと目を見開いた。



 下がり始めた籠のちょうど正面に位置する樹皮が、仄明るく光っていたのだ。











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