第2章 聖女と魔女



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 いよいよブルーメンブラットに向けて出発という朝にも、ひと悶着があった。無事に出産を終えたものの、まだ床を離れられないアリスのかわりに、アルバートが見送りにやってきたまでは良かった。
「皆様には本当にご迷惑をお掛けしました」
 彼は、アリスの出産後は流石に公務に手が付くようになったらしい。
 目の前で深々と頭を下げる彼は、事件の遠因が自分の言動であったことを知らない。また知らせたところで、罪には問えないだろう。ローナの存在は初めからなかったことにされる。それがここでは普通のことなのだと、エリオットも昨日言っていた。それでも、どうしようもない苦さを感じて、こずえは軽く俯いた。
「あの後から妊婦や幼児を狙った襲撃はぱたりと止みましたし、一連の事件は終息したと見てまず間違いが無いでしょう。エランディール殿には申し訳ないことを……セントソフィア家には本当に感謝のしようもございません。それと、我が妹を、あなたがたに同行させてはいただけませんか。弟のルーリスは、私に万が一のことがあった場合にこのフィラデルフィア家を継ぐ身、なかなか外には出してやれませんが、ならばせめて、フェルティアーナだけでも見聞を広めさせてやりたいと思うのです」
 言いながらセルディに手渡されたのは、どうみても色々なものが込みの金貨の袋である。
「皆様、よろしくお願いいたします」
 そうして、フェルティが同行することになったまでも良かった。多少は驚いたが、ここ数日の言動を見る限り、彼女はこずえよりは遥かに兄弟の役に立つだろう。なにより彼女と一緒の旅は楽しそうだと思って、特に不快感は覚えなかった。仮にも侯爵家の当主に頭を下げられては断りにくいというのもあるのだろうが、残りの二人もこずえと同じように感じているようで笑顔とともに彼女を迎え入れた。突然の要求に驚いたそぶりを見せないところを見るに、案外、こずえの知らないところでフェルティの同行は前から決まっていたのかもしれない。
 問題はその後だ。
 ヒルダが、こずえと一緒に行きたくないと駄々を捏ねたのだ。こずえも、駄々を捏ねるという表現は正直どうかと思ったのだが、けれど哀しいかな、一番適切な表現だった。
 外見から始まって人格に至るまでいわれのない誹謗中傷が吐き出され、こずえは相手にしないのが賢いという結論に至った。
 セルディやフェルティが懸命に止めようとするが、ヒルダの言い分はどんどんエスカレートしていく。挙句の果てに、旅の目的を根底からひっくり返しかけた。
「そもそもこんな娘、連れて行かなければ良いのでは? そうすれば――」
 この上なく意地が悪い表情を浮かべた自分が他人にどう映っているかなんて、きっとこのひとは考えもしないんだろう、そう思ったこずえが、諦めの溜め息をつきかけたそのとき。



「それは、同意いたしかねます」



 凛と、響いた声。こずえは思わず、隣に立つ少年を見上げた。
「なぜ!」
「彼女を連れて行くのには、はっきりとした理由があるからです、ヒルダ様。わたしの妹、フィーネが先日忽然と姿を消したことはご存知でしょう。彼女は、フィーネについて重要な情報をもたらす、いわば協力者です。彼女がいなければ、フィーネを見つけることは難しい。また、フィーネを見つけられないのならば、私はこの旅に参加する気はございません」
 理の通った言い分に、ヒルダが唇を噛んで黙り込む。その様を、こずえは新鮮な気分で見ていた。
(……私を嫌いな人は、多分この世界に沢山いる)
 それは、予感ではなくて確信。
(でも、エリオットがいてくれるなら、どうにかなるかもしれない)
 嫌なことはある。哀しいこともある。それでも、この旅はそれだけではきっとない。
「さて、エリオット。これからどうするか、考えてあるかい?」
 場の雰囲気を変えるようにして兄が振った話題に、エリオットも頷いた。
「ええ、兄上。ブルーメンブラットは島国です。行くためには、海路を経由する必要があります。少々遠いですが、ランセ王国東の港町フィオーレからは、この国で唯一ブルーメンブラット行きの船が定期的に出ておりますので、フィオーレを当座の目的地にしようと考えております」
 やけに丁寧なエリオットの説明に、こずえを除く一同は軽く頷くだけで終わる。その様子を見て、こずえは、エリオットが他ならぬ自分のために説明をしてくれているということに気づいた。こずえが恥をかかぬように、確認と言う体裁をとって、わざわざ説明をしてくれているのだ。
(ああ、やっぱり)



――この世界に来て、初めてあったのがエリオットで、本当によかった。



 わかりにくいけれど、彼は要所要所で細やかな気遣いをしてくれる。それが心底ありがたかった。
(いつまでも、頼りっぱなしってわけにもいかないけど)
 こずえの生きるべき場所はここではない。だから、必要以上にエリオットに依存するような真似だけはすまい。
 心の中で彼に感謝を述べると、こずえはエリオットに向き直った。
「フィオーレとブルーメンブラットってどのくらい離れてるの?」
「船で一月ほどだな。順調に行けばの話だが」
「わたし、船に乗るのは初めてなので、とても楽しみなの。コーディは乗ったことがあるのかしら?」
「あるというかないというか……」
 船らしきものに乗ったのは中学の修学旅行で一度きり。フェリーに乗ったくらいである。それを乗ったと言うべきか、こずえは迷った。
「殆ど、乗ったことがないに近いかな。だからフェルティ、私もすごく楽しみだよ」
「ふふふ。なら、この中で船に乗ったことがあるのは、セルディナート様とエリオットだけと言うことになるわね。エリオットが船に弱かったりしたら面白いのに」
「おい」
「だってそうでしょう。あなた、いつも仏頂面で面白みがないんだもの。苦手なものの一つや二つくらい、あったっていいと思うわ」
「フェルティアーナ様、コーディリア、エリオット、そろそろ来なさい、出発だ」
「はい」
遠くから聞こえたセルディの声に返事を返して、少なくとも退屈しない旅路になりそうだ、と思ったこずえはゆっくりと微笑んだ。





 少年と少女の二人で始めた物語は、こうして新たな軌跡を描いていく。やがてそれぞれの思いが交差して、物語は新たな展開を迎える。

 長い旅路の行く末に何が待ち受けているのか、彼らはまだ――知らない。










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