「心結―、麻由子知らない?」
「知らないな」
 きょろきょろしながら教室に入ってきた葉月に、心結は軽く肩を竦めてみせた。
「そっちの教室にはいないの?」
「いない。委員会があるとかいって出てって、それっきり」
「まぁ、あの子らしいっちゃ、らしいよね」
 手にしたココアの紙パックのストローの口をくわえたまま、心結は葉月に体を向けた。
「何か用でもあったの? まあ、大体想像はつくけど。昨日のこと?」
「そう。わたし、やっぱり、ああいうのはちょっと」
「わかる」
 一旦頷いて、ココアを一口飲むと、心結は、でも、と、葉月に視線を寄越した。
「そんなに居心地悪かったの」
「ううん。結構話は弾んだし、いいひとなんだとは思う。それでも、やっぱり、ひとにお膳立てされて、っていうのが、引っかかるんだ」
「なるほどねぇ。まぁ、麻由子に何を言っても効果ないと思うよ。あのこのモチベーションは殆ど」
「面白そうだから・・・・・・」
「葉月に好きな人でもいれば、話は別なんだろうけど。いないの、そういうひと」
 唐突な心結の問いかけに、葉月は戸惑いつつも、答えた。
「・・・・・・うん、今は、いない」
「だったらあの葉月の知り合いだとかいうカミサマに頼んでみたら? カミサマなんでしょ、一応は」
「いや、本当に、一応がつく神様だから。縁結びとか、出来ないと思う」
「なぁんだ。ずいぶんと役立たずだな」
「・・・・・・そんな言い方ないよ」
 我知らず、低い声が出る。心結の言葉が、小さな棘となって、葉月の心に爪を立てる。
 ひねもすのたり、との俳句がぴったり来るあの神。有能とはいえないけれど、でも。
「何むきになってるの。最初に役に立たないって言ったのは、葉月、あんたでしょ」
 心結の冷静な指摘に、我に返る。
「そうだよね、あはは、何言ってるんだろ、わたし」
 その後、何でもないような顔をして、他愛無い会話を続けたが、心の隅では、小さな棘がその存在を主張していた。

「めーんーどーくーさーいー」
「麻由子、もはやあたしには、あんたの面倒をみるほうが面倒だよ」
「えーだってさ、全員なんかの部活に所属しなきゃいけないなんて面倒極まりないじゃない」
「麻由子、あんた本当は、あたしたちと部活の希望がかぶらなかったのが不満なだけでしょ」
「うぐ」
 心結と麻由子の言い合いを尻目に、葉月は生徒手帳を片手にきょろきょろしながら歩みを進めていく。
「ええと、新聞部の部室は602……って、ここか」
「じゃあ葉月、後でね」
「ばいばい、葉月ちゃん」
「うん、あとで」
 知らない教室に入るのはやはり緊張する。葉月は大きく深呼吸をすると、がらり、と、扉を開けた。
 教室の中にいたのは三名。その内のひとりが葉月に向かって手を振っている。よくよくみれば知り合ったばかりの顔だった。
「野上さーん」
「あれ、水島先輩」
 先日の出来事を思い出して若干顔が引き攣った葉月に、彼はにこやかに近寄ってきた。
「ひさしぶり、ふぐっ」
 水島が潰れた蛙のような、情けない声を出してしまったのは、彼の責任ではない。
「ちょっと引っ込んでてくれるかな」
 水島にさりげなく肘鉄をかましたそのひとは、そのまま葉月をじぃっと覗き込んだ。
美人だった。それはもう、周りの景色が霞んで見えるほど美しい男性だった。艶のある黒髪の肩の少し上、並大抵の男性ではむしろ野暮ったく見えてしまうような髪形だが、切れ長の瞳、小さなくちびると、調和して、独特の魅力を醸し出していた。つまり、
(やけに色っぽいおとこのひとだな)
 葉月が自分の思考にちょっと赤面したところで、その人が口を開いた。
「え、ちょっと待ってこの子僕の好みドストライクなんだけど。お嬢さん、ちょっと抱きしめても構いませんか」
 あ、声も低すぎず耳に心地いいんだな、などと思っていた葉月の脳が耳から入ってきた情報を正確に処理するのに15秒ほどの時間を要した。
「え、・・・・・・え!?」
「凛、貴重な女子入部希望者が引いてるぞ」
 復活した水島が口を挟むと、そのひとは、それはそれは優艶な笑みを浮かべた。ふぇろもんせいぞうき、と言う言葉が葉月の頭に浮かぶ。
「ああ、失礼。僕は東條凛(とうじょう りん)。二年三組です。身長は176センチ、血液型はB型、絶賛彼女募集中です」
 いい笑顔、それはもう、同性すらも見惚れてしまうようないい笑顔で、東條はそうのたまった。テンションの高さに圧倒されつつ、ぺこりと頭を下げようとした葉月の背中に、信じられない言葉が降りかかる。
「こいつ、女だからね」
「はい、よろしくお願いいたします・・・・・・って、女性ですか、女性なんですか!?こんなにす」
「うん、素敵だろう? そりゃ六年の長きに渡りそれはもう血の滲むような研鑽を積み重ねてきたからね。因みに好きな女性のタイプは葉月ちゃ」
「凛、質問にはちゃんと答えろ。野上さん、本当に、信じられないだろうし、女子トイレに入って問題になったことがあるくらいの奴だけど、間違いなく女性。因みにこれは証拠写真」
「うわぁかわいい・・・・・・東條先輩、スカートもお似合いじゃないですか」
「うん。凛がまだ純粋だった、幼稚園の頃の写真」
「てことは六年前、小学五年生の頃から」
「うん、時間をかけて今みたいになった」
 葉月は暫し、時間というものが持つ威力を突きつけられ、茫然としていた。
「時の流れは残酷ですね。・・・・・・流しかけていましたけど、女子トイレに入って、・・・・・・つまみ出されてしまったんですか?」
「いや、もみくちゃにされて恍惚となってた、らしい」
「何故に!?」
「そのときトイレにいたのが女子中学生ばかりだったらしくて。ありえない場所に異分子がいることよりも、良物件が目の前にふって湧いたことのほうが彼女たちの中では重要だったんだって。結局、凛の友達があんまり長いんで心配になって覗きに行くまで、両手両腕に花でうっはうはだったらしい」
「あれは今でも思い出すよ。かわいいかわいいおんなのこたちが、キャーッって言いながら僕を囲んでくれるんだ。あれを天国と言わずしてなんと言おうか」
「野上さん、凛は筋金入りの女好きだから気をつけて。ふたりっきりにならないようにね」
「・・・・・・知りたくないんですが一応お聞きします。ふたりっきりになった場合のリスクは」
「・・・・・・もどれなく、なる」
 聞き覚えのない声がしたので、葉月が顔を上げると、今まで全く会話に参加していなかった男子生徒が、こちらを見ていた。
「ええと、戻れなくなる、とは」
「僕がいなきゃきみの体が」
「凛それ以上言うとセクハラだから慎みたまえ」
「ぶー。秋くんの意地悪ぅ」
「きもちわるいからやめろ」
 もしかして、この面子で一番頼りになるのは水島ではないか、そんな結論に達した葉月は、少し落ち込む。
(あー麻由子がまたなにか余計なことしそうな気がする・・・・・・)
 だが、麻由子の思惑など水島は知らないわけだし、少なくとも東條を頼るよりは確実に安全であろう。三人目にいたってはまだ名前も知らない状態だし、そこまで考えた葉月は、はたと、あることに思い当たった。
「あのー」
「なんだい葉月ちゃん!」
「ここって、新聞部、で、あっていますか」
 その前提で話を進めてきたわけだが、これで間違っていたとなると、かなり恥ずかしい。そう思いながらの問いかけに、東條は、にこりと笑った。
「うん、これが副部長の水島秋。葉月ちゃんはもう面識があるみたいだけどね。で、この無口な男が会計の西宮桐生。そして僕が、部長、東條凛。三人合わせて」

「「水蘭高校新聞部」」

「ようこそ葉月ちゃん。歓迎するよ」
 その後、葉月は、入部確定と言うことで東條に押し切られ、他にもいくつかの部活を見学するはずが、気がつけば新聞部に入部が決まっていたのである。
 そうと知って茫然とする葉月に、水島がそっと耳打ちをした。
「ちなみにこいつうちの学年の首席」

 その日、葉月は、この世の不条理についての理解を深めた。


 時がたつのは思っていたよりずっと早く、気がつけば、入学から二週間が経過しようとしていた。その間、葉月は雑多なことに追われ、とりあえず必死に日々を送っていた。高校にもなれ、友人も増え、ついでに勉強量も増えた。
 そんなある日、葉月は、ふと、春彦のいる神社にいきたくなった。
「わぁ久しぶりだ」
 受験前、受験が終わったらちょくちょく顔を出すと言っていたのに、気がつけば三週間も顔を出していない自分は、だいぶ薄情である。そんなことを思いつつ、葉月は、神社に続くきざはしを駆け上がっていく。
「あれ? ひこさーん」
 駆け上がったはいいが、肝心の春彦の姿が見つからない。きょろきょろと辺りを見回していると、急に後ろから何かに飛びつかれ、葉月は思い切り前につんのめった。
「やあ、葉月ちゃん」
「・・・・・・東條先輩、このままだとわたし、潰れてしまいます」
「はは、ごめんごめん」
 一旦葉月から離れた東條は、葉月の格好をまじまじと見た。
「葉月ちゃん、制服のままだね。さては学校が終わってすぐに来たいところがあったのかな」
「ええ、この、神社に」
「ああ、――ここの桜は、見事だからね。もう散ってしまったが」
「ご存知なんですか」
「ああ。僕は、学校新聞に載せる写真を探してくる担当だから、いい写真を撮れそうなところは、常にチェックしておくんだよ。葉月ちゃんこそ、よく、こんな辺鄙なところを知っていたね?」
「知人が、この近くに住んでいるので」
「ふぅん、そうか。てっきり僕しか知らない隠れ名所だと思っていたのに、そうじゃなかったんだな」
 そういいながら桜の樹を見上げるしぐさも、いちいち絵になっている。
「こんなに綺麗なのに」
「ん、なんだい」
「あれ、わたし、口に出していましたか」
「うん、ばっちり」
 心の中だけで呟いたつもりが、どうやら駄々漏れだったらしい。「で、なんなんだい?」と聞かれた葉月は観念してずっと気にかかっていたことを、聞いた。
「なんで、東條先輩は、そんなに綺麗なのに、おんなのこが好きなんですか」
「ひとを好きになるのに、顔の造作は関係ないと思うけどね」
「あ、ごめんなさい・・・・・・」
「いや、責めるつもりで言ったんじゃなくてね。そうだな、一言で言えば、僕は、うつくしいものが好きなんだよ」
「じゃあ、男性だって」
 葉月の言葉に、東條は、のんのん、と、指を振ってみせた。
「僕にはね、表面的な美醜など、何の意味も持たないんだよ。歴史を見ても、内実は権力欲に塗れているけれども、表面的にはうつくしく淑やかな貴婦人だっていたし、逆に、あんまりよくない顔をしていても、その実誰よりも清廉なこころをもった娘だっていただろう。だから僕が惹かれるのはね、内面がうつくしいものたちなんだよ」
「はぁ」
「自分は悪くないのに、潔癖な余り自分を責め続ける少女とか。そういうこの流す涙は堪んないよね、ぐらっとくる。特にね、恋する少女は素晴らしい。あのきらきらした瞳を、是非僕に向けてみたい。勿論、あんまりエゴが目立っているようなのは駄目だ。わたしは本当にあのひとを幸せにできるんだろうか、とおもったり、わたしは彼に釣り合わないんじゃなかろうか、と、悩んでいるのが、最高に美しいと、僕はそう思うのだよ。だから男に興味がない」
「は、はぁ」
「因みに葉月ちゃんはその表情が気に入った」
「わたしの表情? わたし、先輩がおっしゃったような条件には、当てはまりませんよ」
「開く前の花のつぼみ」
「え?」
「ふふ、これ以上はいえないよ。また秋に、怒られてしまうからね。まったくあいつは口うるさくて敵わない」
「そういえば、東條先輩と水島先輩って」
「ああ、幼稚園からの竹馬の友だよ」
「ちくばのとも、って、あんまり言いませんが・・・・・・じゃあ、心結が言っていたのって、」
「うん?」
「いえ、独り言です」
「そう。因みに、あいつの女性遍歴も隈なく挙げることができる」
「それは・・・・・・水島先輩、お気の毒です…・・・」
 女性の幼馴染に、女性遍歴を隈なく把握されているのってどうなんだろう、そう思っていた葉月に、東條が満面の笑みで声をかけた。
「というわけでね葉月ちゃん」
「はい?」
「この近くに上手いと評判のラーメン屋があるのだが、ちょっと一緒に食べに行かないかい?」
「それは取材でですか?」
「・・・・・・まぁ、それでもいいけど」
「なら、ご一緒します」

 東條と連れ立って境内を去る直前、葉月はいちど振り返る。
 春彦の姿は、どこにも見えなかった。





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