その年は暖冬であったからか、三月上旬の時点で既に寒さはだいぶ緩んでいて、葉月の入学式は、桜があらかたその花を落とした頃に行われた。

(ネクタイよし、スカートよし、髪はそもそも染めてない、糸くずもついてない)
 校門の手前で一旦立ち止まった葉月は、自分の服装を点検して、OKサインを出した。セーラー服であった中学と違い、水蘭高校はブレザーであったので、少し勝手が違って戸惑ったものの、すぐに慣れそうである。風紀の教師が厳しいと聞いていたので、できるかぎり従順な生徒に見えるように、気を配ったつもりである。スカートが指定の膝丈よりやや高い位置にあるのはご愛敬だ。
「はづきー」
「心結、おっはよー」
「はよー」
 中学からの親友である坂田心結(さかたみゆ)が近づいてきて、葉月と軽くハイタッチをした。
「久しぶりじゃん。卒業旅行でみんなでディズニー行った以来?」
 言いつつ軽く髪を撫で付けた心結は、整った顔立ちの、少し気の強い少女で、葉月とはかれこれ三年の付き合いである。
「まぁ、二人とも受かってよかったじゃん。あ、三人か」
「はづきちゃああああん、みゆちゃああああん」
 心結が言い終えるか言い終えないかのタイミングで、背後から葉月にべしっと抱きついたものがある。固まってしまった葉月の代わりに、心結が振り返り、呆れ顔になった。
「麻由子、三人で同じ高校に行けるのが嬉しいからって、はしゃぎすぎ」
 だって、とあげた瞳が、心なしか潤んでいる。
「受かるかどうかなんて確証がなかったじゃないか。わたしだけ落ちてるんじゃないかって、発表まで、ずぅーっと心配だったんだよぉ」
「・・・・・・あんたがそれをいうかな」
 心結の言うとおり、三人組の中で、一番成績優秀なのは麻由子――村主麻由子で、ここの高校も彼女の成績をもってすれば心配はなかったはずなのだが、彼女のメンタル面は、砂でこしらえた搭よりも尚脆い。したがって、受験中は、もうやめようようと弱音を吐く麻由子を、葉月と心結で叱咤激励するという妙な構図ができあがっていた。ふつう逆じゃない? と、葉月が遠い目をしたことも一度や二度ではない。
「まぁまぁ、それよりも、クラス分けの方が気にならない?」
 クラス分け、という単語に瞬間冷凍された麻由子は、次の瞬間、今度は心結に抱きついた。
「心結ちゃあああん、離れたくないよー」
「・・・・・・お願いだから幼稚園児みたいなこと言わないでくれるかな」
「心結、わたしのいとこ幼稚園児だけど、今までそんなこと言ったの聞いたことないよ」
「・・・・・・」
 無言で麻由子をべりっとひっぺがした心結は、校庭へと足を進める。葉月と麻由子は、慌ててその後を追った。

「うう、よかった、よかったよぉ、葉月ちゃんと一緒で」
「心結とは離れちゃったけどね」
「でも3組だから、隣だよ!」
 クラス分けの結果、葉月と麻由子は一年二組に、心結は一年三組に配属された。一人だけ別れたかたちの心結はというと、「じゃあ葉月、麻由子よろしく」と、ドライなものである。
 先ほどまでの態度はどこへやら、葉月と同じクラスだということに安心したらしい麻由子は、葉月の腕に抱きついた。
「昼休み遊びに行こーよー」
「それよりも、クラスに馴染む方が先でしょ。と、あ、ごめんなさい」
 前を見ずに歩いていた葉月は、ふと、誰かにぶつかって、とっさに謝った。
「いや、こっちも、ぼうっとしてたから」
 低い声に、さては相手は男子生徒か、と思って顔を上げると、意外に近い位置に頭があって驚く。
「本当にごめんなさい」
「気にしなくていいよ。丁寧なんだなー」
 くすり、と笑った顔に、こちらも笑い返しながら、葉月は相手を観察する。最初は背が低いのかと思ったが、たぶん170はある。中学校まで一緒だった男子たちと違い、どこか落ち着いた雰囲気をまとっていた。
 しっかりしてそうだな、との印象を抱き、それに気づいて少し、笑った。どこぞの情けない神と比較していた自分に気づいたからだ。最初目の前の彼の身長が低いと思ったのも、たぶん、春彦と比較してしまったからだろう。
「え、おれの顔に何かついてる?」
「え! いいえ、重ね重ねすみません」
 怪訝そうな顔をしている目の前の彼に、そういってぺこりと頭を下げると、彼は笑みを深めた。
「これも何かの縁かな。おれは水島秋っていうんだ。ちょうどこの教室の真上の教室にいる」
「あ、二年生の方なんですか」
「そ。センセに頼まれて手伝いしてるんだ。きみの名前は?」
「あ、野上です。野上葉月、高校一年生です」
「おー。そっか一年か。でもそうだよな、初々しい感じするし。もう慣れた? ・・・・・・って、入学式でそれもないな、ごめん。まぁ、これからよろしくってことでひとつ」
「はい、よろしくおねがいします」
 ぺこり、と、頭を下げたタイミングで、廊下の向こうから教師が「そろそろ教室へ入れー」と声を上げたので、葉月と麻由子はそろって教室に入った。
「かっこよかったなぁ、あのひと」
「え、そう?」
「もー、葉月ちゃんてば相変わらず淡泊。でも、」
 麻由子は、葉月を振り返ると、それはそれは楽しそうに、笑った。
「あのひとは葉月ちゃんのこと、気に入ってると思うな」
「・・・・・・なにを根拠に」
「女子高校生の勘ー」
 やっとのことで言葉を絞り出した葉月に、麻由子はにやっと笑ってみせると、席について前を向いた。ほぼそのタイミングで、担任が教室に入ってきたので、葉月も席に着いた。

 放課後、心結と麻由子とともに帰る約束をしていた葉月は、脱靴場でふたりを待っていた。ふたりとも掃除当番だったので、葉月だけ先に下に降りることにしたのである。
 ぱたぱた、と、地面を叩く音に顔を上げる。
「あ、雨」
 そういえば、家を出るときに、母が、傘を持って行きなさい、と口を酸っぱくして言っていた。その言葉にどれだけの効果があったのかは、葉月が今現在傘を持っていないことから推し量れる。
 あーあ、と、肩をがっくりと落とした葉月の視界の隅に、こちらにやってくる心結の姿が映った。
「葉月」
「ああ、心結。麻由子はどうしたの?」
「それがさぁ、センセに捕まったらしくて。手伝いでちょっと遅れそうだって言うから、先に降りてきたんだけど。葉月、時間大丈夫?」
「うん、時間は大丈夫なんだけど、わたし、傘を忘れちゃって」
 葉月の言葉に、外を見た心結は、うっ、と、盛大に顔を顰めた。
「うっそ。あたしも持ってきてない。麻由子は折り畳み傘常備だからいいとして、・・・・・・三人で相合い傘あって」
「かなり無理があるね」
 二人でしみじみと頷きあったタイミングで、廊下の向こうから革靴に履き替えた麻由子がパタパタと駆けてくる。
「葉月ちゃん、心結ちゃん、お待たせっ。さー一緒に帰ろー」
「麻由子、それが、」
 うきうき、とした様子の麻由子に、事情を説明する。
「だから、わたしか心結が、誰か他の子と返ったほうがいいかも」
しょんぼりと項垂れるかとの葉月と心結の予想に反して、麻由子は、ぱぁっと顔を輝かせた。
「なぁんだ、それなら、簡単じゃない!」
 明るいその言葉に、どうしてだか、葉月は、嫌な予感がしたのである。
 程なくそれは、的中する。

 はめられた。

 ぽてぽてと歩きながら、葉月は灰色の空を睨み据える。ああ腹立たしい、そもそもお前がこんなに雨を降らせなければ、こんな必要はなかったのだという怒りを込めながら。
「野上さん、体調悪い? 怖い顔してるけど」
 不意に隣から駆けられた声に、葉月は怒りを引っ込めて、ややひきつった笑顔で対応した。
「いえ、新学期早々いろいろあって、ちょっと疲れてしまって」
 いろいろ、のところに、少し強制がおかれたのは、葉月のせいだけではない。
 話は少し前に遡る。顔を輝かせた麻由子は、普段のおっとりした様子からは考えられないほどの速度で脱靴場を横切ると、水島の手を引っ張ってつれてきたのだ。
 そして、呆然とする葉月と心結の前で傘を片手にした水島に事情を話し、嫌みなほど爽やかな笑顔の水島から快諾を得るなり、葉月を彼に押し付けた、という具合である。
「そう、ならいいんだけど・・・・・・、野上さん、どこ中出身?」
「あ、緑が丘です」
「へー偶然。俺も緑が丘」
 その後、たわいない会話は意外なほど弾み、なるほど、女子からの人気が高いというのも、あながち嘘ではないらしい、と思う。
 昼休み、偶然の出会いにわくわくしてしまったらしい麻由子によって、葉月は、彼が二年生の間でかなり人気があるという情報を、聞いてもいないのに仕入れる羽目になっていた。隣から心結が、でもなんか美人の幼馴染がいるらしいよ、と、口を挟んだところからよくわからない方向に話が進んでしまったが、すくなくとも、好青年であることは間違いがなさそうだ。
 自然に車道側を歩く気遣いだとか、ごく自然に傘の柄を持つ仕草は、たとえ計算尽くであったとしても洗練されているし、好意がもてるものだったから。
 と、そこで、葉月は、ぶるり、と震えた。朝までの陽気はどこへやら、湿気をたっぷりと含んだ空気は、意外なほど半袖からむき出しの腕や、スカートから突き出た足から、容赦なく体温を奪っていく。
「大丈夫? 寒い?」
「あ、そうですね、ちょっと」
「ちょっと待ってて」
「あの、」
 言いおいた彼は、葉月に傘を渡すと、たたっと手近なコンビニまで駆けていき、やがて缶をふたつ抱えて戻ってきた。
「はい」
「え、そんな、悪いですよ」
 にっこり、との形容がぴったりくる笑顔ともに突き出された缶を、葉月は頭をふるふると横に振って固辞した。さすがにそこまでさせるわけにはいかないし、こんなところが学校の誰かに目撃されでもしたら、クラスに溶け込む前に噂になってしまう、と、葉月は考える。相合い傘をしている時点で噂になりそうだということには、ちっとも考えが及ばないらしい。
「いーの、いいの。おれ、今年大学生になった姉貴がいるんだけど、その姉貴にいろいろ仕込まれたから、女の子の世話を焼くの、習性みたいになっちゃってるんだよね」
「おんなのこ」
「うん、おんなのこ。あれ、もしかして、こんな風に言われるの、いやだった?」
 一転して不安げな表情になった彼に、葉月は首をふるりと降った。
「いいえ、いやじゃ、ないんですけど」
 そこで、すこし考える。わたしがひっかかったのは、なんでだろう、と。程なく答えを引っ張り出した葉月は、口を開いた。
「水島先輩は、幼いって意味で、おっしゃったんじゃないんですよね」
「勿論違うよ。ふつーに、女性、って意味で」
 そんなふうに、何の衒いもなく言える彼は、やはり女慣れしてるんだなぁ、と思いつつ、葉月は少し、下を向いた。
「そうですよね、なら・・・・・・あんまり、そんなふうに、じぶんのことをかんがえてみたこと、ありませんでしたから。だからだと、思います」
「そっか、ならいいんだけど、なんかおれ、無神経らしいから。傷つけてたらいやだなぁって。姉貴にも、しょっちゅう怒られてるし」
 にこっと笑った水島に、葉月も微笑み返す。
「ふふ、兄弟仲がいいんですね」
「そう言えるのかなー」
 ところでさ、そういった彼の話に耳を傾ける。一生懸命と言った風情で繰り出される話は、葉月の気を惹くのに十分なほど興味深かったし、面白かった。
 腹の底からこみ上げてくる笑いの渦に身を任せながら、それでも葉月は、なんとはなしに思ったのだ。

 彼は、春彦は、自分を「おんなのこ」だと、思ってくれたことがあるのだろうか。





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