問題です。目が覚めたらまず何をしますか。
目を開ける、うん、そりゃそうだ。もっともだよね。でも、あたしという、自堕落を体現したような人間に限って言えば、違う。
まず、目を閉じたまま状況確認。どうやら、あたしの頭は愛用の枕ではなく、何か硬いものに乗せられている。因みにあたし愛用の枕は、手触りが良いだけじゃなく、頭を支えるのに適度な硬さを保った、優れものの枕なのだ。え? 興味ない? ・・・・・・ごめん、話を戻すよ。
とにかくあたしの頭は、枕じゃないところに乗せられていた。そんでもって、頬に触れるのは、クーラーで冷たくなった、硬い木の感触。このふたつから、優秀なるあたしの頭脳は、ひとつの答えを導き出した。――あたし、机の上で寝てるんじゃない?
そういや退屈極まる数学の問題集をこなしている内に、眠くなって机に突っ伏した気がする。やった時間なんて覚えてないが、何となく頑張った気がする。よし起きてカップラーメンを食べよう。一問も解けなかったなんて、そんなのきっと気のせいだ。机に座って十分ももたなかった気がするなんて、それも断じて気のせい、気の迷い、だ。
時間にして一分足らずの思考を終えたあたしは、そのまま頭を持ち上げ――
ずぼっ、と。 籠めた力からは考えられない程の勢いであたしの頭は――いや、あたしは、後ろに放り出された。
「あいたたた、うん? 痛くない?」
軽く混乱しつつ顔を上げたあたしが見たのは、すやすやといつもの寝顔を晒しながら眠る、あたし自身だった。ひざ掛けでもかけないと風邪ひくよ。
後ろではやや古くなったエアコンが、がたがた煩い音を立てながら、冷たい風を送り出している。でもその爽やかな風を、あたしは感じ取ることができなかった。暑さも、寒さも、感じなかった。今は夏で、あたしは、体に悪いくらいがんがんにエアコンを利かせるのが好きなのに。あれ、ていうか体が、やけに軽いんですけど。
怪訝に思って自分の体を見下ろしたあたしは、驚きの余り心停止を起こしそうになった。いや、この場合、心停止という表現は正しくないと思うけど、でも、他にどう表現すればいいのか、わからないから。
「・・・・・・あたし、もしかして死んでる?」
体が半透明になって、フローリングの床が透けて見えている。これって、やっぱり。
「死んでんじゃないかあああああああ」
そのときの驚きといったらない。だってまだあたし十代なんだよ! まったくの健康体の女子高生、ある日目が覚めたらぽっくり往ってましたえへ☆ なんて何の冗談だよ! まだまだやりたいことと沢山あるってか明日はあのサイト様が更新されそうだから楽しみに待ってたのにぃ!
この怒りを誰にぶつければいいだろう。切実且つ凶暴な問いを胸のうちに抱きながら、荒い息を繰り返していたあたしは、視界の隅であたしが、もとい、あたしの身体、が、僅かに動いたのを見て取って、愕然とした。
あたし(の身体)の胸部は、非常に緩やかに、しかしぎりぎり視認できる速さで、上下を繰り返していたのだ。
結論。どうやらあたしは、まだ死んでいない。
さて。あたしは、どうすればいい?
うん、まあ、じっと待ってみる、っていうのも、ひとつの選択肢だと思うよ? 遭難したときもさ、その場から動かないのが鉄則だし。真夏にしたってエアコンの利いた部屋で、即生命の危機に晒されるわけもないし。
でも。でもさ、この場合、あたしが遭難してるってことは、あたし以外の誰も、気づきようがないわけだ。父さんは関西に単身赴任していて、帰ってくるのは数週間後だし、母さんは母さんの妹、つまりあたしの叔母さんと、二週間だかの海外旅行に、つい三日前に出かけてしまった。ついでにいえばあたしは一人娘で、一軒家なので、マンションほどの近所づきあいはない。ハイ詰んだ。
次に考えられることは、あたしを起こすこと。ってか、最初から考えろって感じだろうけど、却下。だってあたしは前述の通り、かなり寝汚いのだ。一度寝ると決めたら、例え台風で窓がごとごとがたがた言っていようが、折角かけたアラームをも無視して、惰眠を貪るような人間が、幽霊の囁き位で目を覚ますはずもない。むしろコレで起きたら、あたしにも繊細な神経が存在していたのかと心の底から感動するだろう。
従って、なんとかして自力救済の手を考えねばならない。この広い世界には、幽霊を視ることのできる人間がいるというのだから、精神体という意味では幽霊とさほど変わらない状態のあたしを、発見することのできるひとも、きっとどこかにはいるだろう。
すぅぅ、と、板張りの床を滑るように移動したあたしは、玄関でノブが一向に掴めないことに悪戦苦闘していた。だってあたしの手がノブをすり抜けるんだ!
それからはたと気がついたあたしは、思い切って扉に体当たりしてみた。強風が吹いてくる方向に向かって歩いてるような抵抗に、一瞬だけあったけど、あたしは、するり、と、そのまま外に出られた。ああ、日差しが眩しい。
数日振りの日差しを一身に浴びながら、あたしはかなり真面目に考えた。
人間って、水なしで何日生きられるんだっけ。
ふらふらと街をさ迷い歩くうちに、あたしは、早速ひとつのことを学習した。――昨今、幽霊を視ることのできる人間というのは、急速にその数を減らしているらしい。全く持って、世知辛い世の中である。
行きかうひと、ひと、ひと。平日の昼下がりであるからか、むっつりとした、いかにも仕事してます! って顔のひとはいないけど、それなりに人通りは多い。なのに誰ひとりとしてあたしに気がつかない。なんだか泣けてきた。
いちどだけ、ベビーカーに入った赤ん坊が、紛れもなくあたしに向かって、にこり、と笑いかけてきた、が。さすがに相手が赤ん坊じゃ仕方ない。やけに若くてキレイなおかーさんは、息子だか娘だか知らんが、赤ん坊がご機嫌なのに気をよくして、さっさと通り過ぎてったし。
癪に障るので、行きかうひとの顔ぎりぎりまで顔を近づけて遊んでいると、往来の向こうから、見知った顔が近づいてくることに気がついた。
あたしの視線の先にいるのは、部活の後輩である。涼やかな顔をした彼は、その端正なお顔を眠そうに歪め、ふああと欠伸をしながら歩いている。
うぐ、と、あたしは、思わず声を漏らしてしまった。だってあたし、こいつ苦手! 後輩に悪気はないのだと分かっていても、眼にするたびに顔の筋肉が引き攣るのだから、どうしようもない。
この後輩は、お顔がよろしいとかいう単純な理由で、部活のおんなのこたちから好かれている。本人は、女子からの人気と、自分の容姿に無頓着のようだが、その淡白さが返って女子たちの人気を上げているとは、思ってもみないらしい。くそぉ羨ましいやつ! かわゆい女子高生に囲まれることのどこが不満だ!
いや、くれぐれも、誤解しないで頂きたいのだが、あたしは決して、この目の前で阿保面を晒している後輩が、かわゆいかわゆい女の子たちの人気を掻っ攫っているということに、嫉妬しているわけではない。断じて、そんなことはない。そりゃああたしにも女の子たちにきゃあきゃあ言われてみたいという願望がないといえば嘘になるが、あたしがこいつを疎んじている理由は、もっと別にある。
こいつは当初、部活に来るのはいいが、来るだけで何もしない、いかにも無気力な奴だった。そんな奴のことを、部長以下おんなのこたちは、見目がいいという理由も手伝って、暫く放っておいたのだが、そうも行かない状況が勃発した。
あたしの高校では、毎年春に、新しいクラスの親睦も兼ねて、合唱コンクールが行われるのだが、その合唱コンクールで、講堂の前に、プランター入りの花を沢山飾ろうということになった。そのプランターの手配については、あたしの部に一任された。
あたしはこう見えても園芸部なのだ。あんまり出席状況は良くないけども、一時はかなり真面目に活動をこなしていた。真面目にいかなくなった理由は、りゆう、は。
(あ、れ)
あたしは暫し現状も忘れて愕然とした。なんで、思い出せない。ぜったい、なにか、そのころ、あたしの人生の転換点となった出来事が有ったはずなのに。
(…………)
……思い出せないから話を戻す。まぁとにかく、それで大量のプランターを運搬することになったんだが、部室兼生物室は、学校の四階にあったから、一階にある講堂までは、随分な距離があったわけだ。エレベーターを使っても良かったんだけど、なにしろ量が多かったから、人海戦術でいったほうが速いだろうって、そんな話になった。
で、かわゆいおんなのこたちがえっさほいさと(これ死語か、もしかして)運んでる間も、後輩はそ知らぬ顔で、窓際で夏目漱石のこころなどを読んでいた。その段階ではあたしもまだ抑えてたんだけど、ついに、それは起きた。
一番プランター運びに精をだしていた我らの部長が、階段で足を挫いてしまったのだ。幸いにして、それ以上の怪我はなかったが、あたしの肩くらいまでしか身長のない、華奢な部長が怪我をしたのを目にして、あたしはキレたね。
すぐさま部室にとって返したあたしは、後輩の胸倉をぐぃっと掴み上げ、どすの利いた声で、説教を始めた、らしい。らしいというのは、実は、あんまり覚えていないのだ。ただ、居合わせた女子たちの話を総合すると、そのときのあたしは、そこらへんの教師なんか目じゃないほど恐ろしかった、らしい。
やっと後輩が動き出して、それからは順調に運搬が進んだんだけど、あたしが異変に気づいたのはそれから一週間ほどしてからだった。
なんか後輩がまとわりついて来る。
どうやら気に入られたらしい。そう気づいたときには遅かった。
部活に出るたびに、おんなのこたちの視線が、痛い。皆の見ている前で説教をかました気まずさもあり、あたしとしてはむしろ避けたい人種であるのに、後輩は飄々とした風情で話しかけてくるので、居辛さも倍増である。
おんなのこたちの嫉妬の視線を一身にあびながらあたしはつくづく思った。どうしてこうなった。
以上、あたしが後輩を苦手とする顛末である。お分かりいただけただろうか?
話を戻す。
こいつもどうせあたしの目の前を通り過ぎていくのだろう。どうせなら体を突き抜けてやろうかな、ぞっとする感触を味わわせられればしめたものだ、と思いつつ、後輩の顔の少し上まで移動しようと浮遊を始める。距離が数メートルほどに近づいたところで、後輩の眠そうな眼差しがこちらに向けられたかと思うと、暫くの間、彼は、あたしのいる辺りを凝視した。ん?
そのままつかつかとこちらへ歩いてきた後輩は、塀の上の辺りで漂っているあたしを見上げると、呆れたような声音でこういった。
「先輩、なにやってんですか」
それ、たぶんあたしが一番知りたい。
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